漫遊3日目。

 

旅の舞台は萩。

 

"西の小京都"とも言われた、明治維新の志士ゆかりの城下町。

 

<旅の行程>

1日目:防府→湯田温泉

2日目:秋吉→山口→湯田温泉

3日目:佐々並→

4日目:萩

 

町の東側から散策です。

 

まずは、吉田松陰の実家跡地に建つお社へ。

 

◆松蔭神社◆

 

首都圏の人にとっては、世田谷の松蔭神社が馴染みですね。

(しかも、創建は世田谷の方が先)

 

雨で艶やかにな石畳。

 

 

境内には萩藩ゆかりの史跡が保存されています。

 

花月楼

(山口県指定有形文化財)

 

安永5年(1776)に萩藩主・毛利重就が防府の別邸内に建てた茶室です。

 

昭和34年(1959)に境内に移築されました。

 

孝行竹

 

地下茎が横に発達せず、親竹の周りにだけ生育する事から、親を守る竹と言われています。

 

松下村塾

(世界遺産・国指定史跡)

 

安政4年(1857)、吉田松蔭が宅地内の小屋を改造して作った塾舎。

 

当時のまま保存されており、平成27年(2015)、「九州・山口の近代化産業遺産群」のひとつとして、世界遺産に登録されました。

 

 

吉田松陰がここで教鞭をとったのは僅か1年、幽囚期間を含めても2年半ですが、その短い期間に明治維新の原動力となる伊藤博文、高杉晋作、山縣有朋といった多くの志士を輩出しました。

 

吉田松陰幽囚ノ旧宅

(国指定史跡)

 

嘉永7年(1853)、吉田松陰は下田に停泊中のペリー艦隊に密航して海外渡航しようとするも失敗し、安政2年(1855)から数年、ここに幽囚される事となります。

 

史跡の先に建つ鳥居の向こうへ。

 

 

拝殿

<御祭神>

吉田寅次郎藤原矩方命(吉田松陰)

 

明治23年(1890)、実兄の杉民治が邸内に祠を建てて祀ったのがその起源で、明治40年(1907)に伊藤博文らの請願により、萩城内にあった八幡社の社殿を移築して創建に至りました。

 

 

現在の社殿は昭和30年(1955)の造営。

 

 

御本殿

 

絵馬の中でも師弟仲良く。

 

 

松門神社

(御祭神:伊藤博文・高杉晋作 他五十二柱)

 

創建時の松陰神社の旧社殿です。

 

土蔵造りという珍しいもの。

 

 

授与所

 

境内に25本建てられた吉田松陰語録。

 

 

人類とは学ばず変わらぬモノか…

(語録の悪習が標準化している今日この頃)

 

社頭の風景。

 

 

吉田松陰は安政6年(1859)、倒幕画策の罪で江戸で死罪となり、29歳でその生涯を閉じます。

 

明治の夜明けを見る事無く世を去った吉田松陰…けれど、その志は門下生に継承され、日本を近代化へ導く明治維新の礎を築きました。

 

御朱印

 

"至誠"は吉田松陰の名言からとったもの。

 

"至誠にして動かざるものは、未だこれあらざるなり"

 

その意味は、

 

"本当の誠実さを持ちながら行動を伴わない人はいない"

(本当の誠実さがあるならば、行動しなさい)

 

お参りを済ませ、もう一人の偉人の史跡へ。

 

続く。