宮城漫遊3日目、最終日。

 

気仙沼で早朝散歩。

 

気仙沼駅へと続く街道を巡ります。

 

平野商店

 

かつては、肥料飼料問屋だったようですが、現在は訪問介護施設になっている様子。

 

店舗の後ろに豪壮な自宅が見えますが、主人はもういないのだろうか。

 

 

駅へと続く街道は緩やかな坂になっていて、津波の被害は軽微だった様子。

 

古い建物も流失せずに残っていました。

 

反面、復興・再開発の手は入っておらず、忘れられた昭和の町並みが続きます。

 

 

味噌醤油蔵だったと思われるこちらの看板建築も、リノベ待ちか解体待ちか…

 

 

赤・緑の並びが可愛らしい。

 

 

以前は茶舗だったようです。

 

途中、気になる脇道が。

 

 

坂を越えると、海側に出るようですが、何とも昭和レトロな空間。

 

通りには、年季の入った建築がちらほら。

 

蔵事務所?

 

 

蔵喫茶?

 

 

気仙沼ハリストス正教会

 

昭和8年(1933)の建築です。

 

表通りに戻り、脇道があれば入って…

 

何となく入った脇道で出会った共同湯。

 

今も住民の憩いの場でしょうか?

 

友の湯

 

昔ながらの旅館も数軒建っています。

 

かどや旅館

 

まだ現役営業中の様子。

 

旅館まるよし・寶屋旅館

 

この2軒は営業しているのだろうか…

 

1階角だけ床屋として営業中の看板建築。

 

 

JR気仙沼駅

(東北の駅百選)

 

震災後に改装されました。

 

気仙沼駅には気仙沼線と大船渡線が乗り入れていますが、現在、気仙沼駅を起点とした三陸沿いの南北(南:釜石方面、北:大船渡方面)の路線はBRT(バス高速輸送システム)で運行しています。

 

その為、駅にはバスが乗り入れています。

 

 

駅前の観光案内所でホヤぼーやがお出迎え。

 

 

通りを海方面から望む。

 

 

右手の建物は市役所。

 

役所の1階半分の高さまで津波が押し寄せたそうです。

 

気仙沼大橋と湾の写真。

 

 

昭和の港町らしい看板建築が連なる通り。

 

新しく生まれ変わる海側とは違う風景。

 

"震災が無ければ、こんなに気仙沼に人は来てくれなかった"

 

前日に聞いた言葉。

 

海側は復興が進むと共に、新しい気仙沼として賑わっていく事でしょう。

 

海から少し離れたこの街道沿いも、古い気仙沼として賑わいを取り戻してもらいたい。

 

そんな事を想った早朝散歩でした。

 

続く。