町中には、明治~昭和の名残りの風景が広がっています。
いきなり出くわしたのが、その名もズバリ、昭和湯!
しかも、天然温泉。
そして、しっかりとなまこ壁。
少し進むと、何やら、昭和臭ぷんぷんなブロック塀が見えてきます。
酒屋を営む「土藤商店」です。
その向かいの蔵は商店兼レトロ資料館「らくら」として公開されています。
よくぞここまで残してきたものですね。
懐かしのダイヤル式の電話機も。
「土藤商店」も「らくら」も明治時代の建築です。
「らくら」の前の通りには、歴史ある家屋巡りマップが。
思っていた以上に充実しています。
全身なまこ壁な「松本旅館」は江戸末期から続く旅館で、今も現役…かな?
その先、ペリーロードの方へ右に曲がると、観光スポットとしても有名な「安直楼」があります。
下田の人気芸者であったお吉。
領事の看護の仕事に就きますが、外国人への偏見や差別が激しい時代、"唐人お吉"と呼ばれ、周囲から蔑まれます。
しかも、待遇が良かったようで、妬みも相まります。
領事館での仕事はほんの数ヶ月でしたが、恋人との仲も裂かれてしまい、既に下田にはお吉の居場所は無く、彼女は下田を去ります。
数年後に下田に戻り、小料理屋「安直楼」を開きますが、上手くいかず数年で閉店。
そして、酒に溺れていたお吉は川に身を投げ、48歳でその生涯を終えます。
村人から亡骸は放置され、墓にも入れなかったそうです…
人の無知や偏見から来る憎悪の醜さや恐ろしさを痛感します。
そんなお吉のお店が今もこうして残っているとは、何とも感慨深いですね。
散策に戻ります。
至る所に、明治~大正期の建物があります。
なまこに伊豆石にトタンの三点セット。
白漆喰は青空に映えますね。
そんな町並みの奥にある「雑忠」はかつての廻船問屋。
圧巻なのが、側面。
松崎で見慣れてはいましたが、思っていた以上になまこ壁な町、下田。
ところで、「雑忠」とは少し変わった名前ですが、ここを営んでいた鈴木家が紀伊半島の雑賀衆の出だそうです。そこからちなんだ屋号のようですね。
やはり、紀伊と伊豆と房総は黒潮で繋がりますね。
下田港に架かるみなと橋に到着です。
時刻はそろそろ16時。
お昼をまだ食べていなかったので腹ペコ。
お目当の「Ra-maru」へ足早に向かいました。
「道の駅開国下田みなと」の中にるアメリカン・ダイナーです。
頂いたのは名物の下田バーガー。
揚げたてサクサクの金目鯛のフライにチーズ&チーズ。
金目鯛はフワフワプルプルで、味も食感も最高!テリヤキ風ソースがまた美味。
半身サイズですが、ペロッとたいらげました。
もっと時間を掛けて巡らなければと、次回への課題も見えた下田散策。
そろそろ、二泊三日の伊豆漫遊も終わりが近づいてきました。
ちなみに、駅右手のお土産屋さんで売っている潮鰹の万能ふりかけは、革命的な美味しさです。
ご当地マンホールは黒船。
と、旅の最後に。
下田駅からバスでお隣りの蓮台寺へ。
(この時の親切なバスの運転手さんに感謝)
向かったのは、千人風呂で有名な「金谷旅館」です。
大抵、日帰り入浴は昼や午後の一部の時間だけですが、ここは夜の22頃まで入浴可。
江戸末期から続く老舗旅館は、もう最高の門構え。
そして、大浴場は長さ15m・幅5mの総檜造り。
大浴場の片側は深さが1m位あり、まさに温泉プール。
女性側からだけ鍵を開けて入れる混浴でもあります。
館内も昔からの姿そのままで、木造レトロな雰囲気にどっぷりと浸れます。
ここは、是非宿泊をしなければ。
旅の終わりに最高の温泉に浸かり、表に出ると、もう辺りは夜。
旅のお仕舞いです。
横浜の人間にとって、伊豆はとても身近で特別な土地。
私も学生の頃から、泊まりで遊んだり、スキューバをしに行ったりでした。
けれど、旅の虜となったアラフォーの今、以前とは全然違う角度から見る伊豆を再発見出来た素晴らしい三日間でした。
最高の宿に料理に風景に…そして、伊豆の方々とのひと時のふれ合い。
やはり、特別な土地、伊豆。
また年内にでも。
大きな声では言えないのですが、
うん年前に行った西伊豆旅はちとセンチメンタル、
いや、ちょいエモーショナル?なものだったので、
今回、しっかりと、自分の旅として
想い出を上書き出来て良かった良かった…