福井駅に戻り、北陸本線で50分。
福井を代表する港町、敦賀に到着です。
まず向かったのは、
越前国一の宮、氣比神宮。
駅からタクシーで数分。
◆越前国一の宮 氣比神宮◆
大鳥居
日本三大鳥居のひとつに数えられます。
"氣比神宮"の額は有栖川宮威仁親王の筆。
末社 猿田彦神社
手水舎
いよいよ、御神前へ。
中鳥居
粉雪舞う空間。
拝殿
<御祭神>
伊奢沙別命 (イザサワケノミコト)
仲哀天皇、神功皇后、応神天皇
日本武尊
玉姫命
武内宿禰命
伊奢沙別命は気比大神、または笥飯(ケヒ)大神、御奢津(ミケツ)大神とも呼ばれ、食物を司る神様。
この地の豪族、角鹿(ツヌガ)氏の氏神とも言われています。
伝承によれば、伊奢沙別命は2000年程前にこの地に降臨したそうです。
現在の社殿は戦後の再建。
後に、神功皇后が三韓征伐出兵の折り、気比大神に祈願をしたところ、海神を祀るようにと神託が下った為、気比大神を祀ったのが、創祀と伝わります。
そして、
1300年前の社殿造営の折り、他の六柱が配祀されたそうです。
「古事記」には次のような話があります。
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応神天皇がまだ皇太子の頃、夢に気比大神が現れ、
"名前を交換して欲しい"と告げられます。
申し出を受けたところ、翌朝、浜辺に御礼のイルカが
打ち上げられていて、"御食膳の魚を下さった"と
気比大神を御食津大神と称えました。
そして、名前を交換する事となりました。
気比大神は伊奢沙別(イザサワケ)となり、
皇太子は誉田別(ホムタワケ)となりました。
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これは、北陸の大豪族が大和政権に服従したことを示唆しているそうです。
他にも、朝鮮半島から渡来した王子、都怒我阿羅斯等(ツヌガアラシト)と、この地の豪族、角鹿(ツヌガ)氏の名前や地名の繋がりや、その都怒我阿羅斯等と、同じく朝鮮半島から渡ってきた天之日矛(アメノヒボコ)が同一人物であるという説…
そして、応神天皇の母、神功皇后は天之日矛の血をひいているという繋がり。
お参りを済ませて、境内散策。
連なる摂社末社。
神明社内宮・外宮
角鹿神社
先述の通り、都怒我から角鹿、そして、敦賀になります。
大神下前神社
(御祭神:大国主命)
回廊外の駐車場の端に、伊奢沙別命が降臨したと伝わる土公の拝所があります。
土公の遥拝所
土公は隣接の小学校の校庭にあるという…
禁足地とされていて、調査も行われていないそうです。
かの最澄や空海がここで祈祷を行ったとも伝わります。
戦後の区画整理でこうなってしまったそうです。
そろそろ境内を後にする時間。
氣比神宮ユーカリの木
背後には神水苑。
神域の後ろには連なる雪山。
御朱印は書き置きでした。
有栖川宮威仁親王の筆によるものをスタンプにしたそうです。
北陸旅4日目の最終日、時間は13時過ぎ。
粉雪散らつく敦賀の街を散策します。
(次回がこの北陸旅最後の記事になります)
続く