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古事記 黄泉の国。

伊邪那岐(イザナギ)は、亡くなった伊邪那美(イザナミ)に会いたくなり、後を追って 黄泉の国 へと行き、最愛の妻にもう一度帰るように促した。

すると伊邪那美は、あなたが早くこないので、この国で煮炊したものを食べてしまいましたが、最愛の夫が、迎えにいらっしゃったので、黄泉の国 の神と相談しましょう。その間、私を見てはいけません。と言う。

伊邪那岐は長く待った末、待ちかねて、暗闇に火をともして部屋に入る。
すると伊邪那美の体には、蛆が集まっていて、身体中に雷神が生まれいた。

伊邪那岐は伊邪那美の姿を見て、恐ろしくなり逃げ帰る時、伊邪那美が「私に恥をかかせになりましたね。」と言われ、遣いに伊邪那岐の後を追わせ、後に伊邪那美も雷神にたくさんの黄泉の国の兵を引きつれさせて、後を追う。

伊邪那岐は付きまとう兵を振り払い、最後に追ってきた伊邪那美 は、千人もの人がやっと動かすことができるような石を平坂に置いて道をふさぎ、その石を中にして伊邪那岐と向かい合い離婚の誓いをする時、伊邪那美が「あなたの国の人々を一日千人づつ首を絞めて殺しましょう。」
すると、伊邪那岐 は「それならば、私は一日千五百人ずつ生みましょう。」と言う。

これにより、一日に必ず千人死に、一日に必ず千五百人の人が生まれるのです。

このように古事記に記されている。

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と言う、結構シュールなお話しで、捉え方は人それぞれだと思う。

伊邪那岐が黄泉の国に伊邪那美を迎えに行ったが、愛する妻の変わり果てた姿に恐れをなし逃げ帰る場面が伊邪那岐と伊邪那美が陰の感情に変化が移る様子を如実に表わしているように思う。

このような場合、人間も同じように、陰の感情は、受信側は 恐れ になり、発信側は 怒りになる。

そして、伊邪那美は恥をかかされたゆえに、執着心が芽生える。

古事記はそう言った愛や感情の変化をところどころに描いているように思う。

最初は無条件の愛が、条件付きの愛(恋愛)に移っているようで、身じかな光景に思う。

神々にも色々な形の愛があり、陰陽の変化やバランス 心模様を描いてるようで、生と死 破壊と創造 宇宙の法則をも意図しているようにも思う。

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伊邪那美の心や伊邪那岐の恐れをなす気持ちは、凄く理解できると共に、自らに置き換えると、本当に愛する人なら、驚きはしても、その人の心や存在自体を好きなような気がする、その心が、相手の容姿もまた変えるのだと思う。

陰陽どちらにせよ、自分が変われると相手も変わる。

相手の陰陽、良いところも悪いところも理解してこそ、深い愛が生まれるのだと伊邪那岐と伊邪那美の命が促してくれているのかもしれないと感じています。


国のまほろば淡の路。詩の調べ。

伊邪那岐と伊邪那美の愛を奏でる。

in 淡路島 伊弉諾神宮。