尖閣諸島で日本の巡視船に故意に衝突し、公務執行妨害で逮捕された中国人船長を釈放したことにより、今後領土問題で中国が強行姿勢を貫いてくることが予想される。今回の問題点について考えてみたい。
 第一に、今回の日本政府の曖昧な対応が、「尖閣諸島は日本と中国の間で争われている領土問題である」と世界に宣言したことと同じ意味合いを持つことである。日本が船長を裁判に掛け、刑事罰を与えれば、中国との関係は一時的には悪化したであろう。しかし、世界から見れば、あくまでも中国人の日本への領海侵犯と海上での犯罪者の処罰という正当な主権の行使がなされたものとして捉えられる。そこでは領土問題はありえない。終戦直後の中国の地図では尖閣諸島は日本領となっており、中国政府も一時的には日本領とはっきりと認識していたはずである。海洋権益と領土拡大の意図が、ロシアとの国境問題の憂いがない現在、太平洋に向かうのは当然の帰結である。中国は領土問題では一切妥協はしないと強硬に明言している。したがって、今後日本の海保の巡視船が中国側の船舶に何らかのアクションを起こそうものなら、必ずや今回と同等、もしくはさらに強硬な姿勢に出てくることが予想される。大きく謝ったメッセージを世界に発してしまったものである。
 第二に、日本の法律は海外からの圧力で如何様にでもねじ曲げられるということを前例にしてしまったことである。拘置期限を残しての釈放は異例であり、一地方検察庁の判断での釈放とは誰も思わない。政府の説明は詭弁であり、日本国民のみならず、中国も世界も誰もが今回の決定は日本政府の判断と認識していることは明白である。日本国内での犯罪は、日本人でも外国人でも等しく法の下に平等で裁きを受けるという原則が、「尖閣諸島周辺海域での中国人は例外」とされてしまったことは、法治国家として恥ずべき出来事と言わざるを得ない。これが何を意味するかというと、今後は中国が気に入らなければ日本に圧力を掛け、日本の法律を無視をして、自分たちの思うように行動せざるを得ない状況をいつでも作り出すことができるということを、彼らに教えてしまったということである。中国は法治国家ではない。法は権力者には適用されず恣意的に解釈が変わることなど日常茶飯事である。日本も圧力を掛けさえすれば中国と同様と思われてしまったとすれば、不幸としか言いようがない。
 第三に、今後の海保の活動にも大きな制限をかけることになってしまったことである。圧力がかかればすぐ保釈となれば、海保といえども違法操業や領海侵犯を厳しく取り締まることができるはずがない。強制力のない警告ほど無力なものはない。今回の保釈により、中国漁船は大挙して尖閣諸島周辺海域へ押し寄せてくるだろう。拘束も逮捕も、ましてや銃撃などできない海保など、誰が恐れようか? 海保が無力となれば、まずは漁場を中国漁船が占拠し、その後中国海軍の艦船、そして尖閣諸島への上陸と、実効支配への布石を着々と打ち、行動をエスカレートさせて行くことが容易に予想される。日本政府の弱腰な姿勢が、海保に現場で断固たる措置を取らせることに躊躇させてしまえば、尖閣諸島が中国の手に落ちてしまうのは時間の問題である。
 第四に、日本は中国に国としてなめられてしまったことである。断固とした措置を取れない国ほど、相手にとって都合の良い国はない。いざというときに手をかむ犬に手を出すバカはいないが、しっぽを巻いて逃げる犬とわかれば、誰でも手を出してくる。領土問題だけではなく、今後は靖国神社、歴史教科書、中国批判の新聞の社説、中国に批判的な政治家のパージ、日本国民の言論統制へと介入できるチャンスを与えてしまった。これはナチスがオーストリア、チェコ、ポーランドに対して行ったことを、中国は日本に対してでいると思わせてしまったことと同意である。菅直人はさしずめ日本のチェンバレンであろう。宥和政策では結局ナチスを止めることができなかった歴史を、彼はしっかりと学ぶべきであろう。市民運動家の感覚で国の舵取りである外交を行うと、取り返しのつかない愚行を起こすことになる。
 第五に、日本のみならず南沙諸島の問題を抱えるベトナム、フィリピン、その他のASEANの国々にも脅威を与えてしまったことである。日本が毅然として厳正に対処すれば、他国への中国の行動も抑制されたものになったであろう。しかし、日本が言うことを聞くならば、さらに力のない国々は、もっと容易にねじ伏せられるだろうと中国は考えるであろう。中国海軍は何としても太平洋への海路を確保するため、これらの国々を今後同様の方法で恫喝しにかかるであろう。幸いにして最近ではアメリカが先手を打って、ASEAN+米国で中国包囲網を構築しつつある。しかし、要である日米安全保障が動揺していれば、中国包囲網はあっという間に瓦解してしまう。今回の事件で、日本も中国の脅威をまざまざと感じたはずである。したがって、ASEAN各国の懸念や不安に真摯に向き合い、中国の野心的な領土拡張政策に、日本として大きなくさびを打ち込むべきであろう。
 第六に、日米安保に亀裂が入っている今、中国は明らかに日本の足下を見て手を打ってきているということが認められる。尖閣諸島は日米安保の範囲内というのは建前で、アメリカは尖閣諸島問題には介入してこないということが明らかになってしまった。安保の範囲であれば、艦船の1隻や艦船でなくとも調査船程度の派遣はできたはずである。中国もアメリカが出てくれば、むやみやたらと問題行動は起こしてこないはずであるが、今回は口先の、しかも平和的解決を望むとの何とも曖昧な声明でお茶を濁した。そこには何らの行動もない。つまり、仮に中国が尖閣諸島を実効支配することになったとしても、日本単独で対処しなければならないということを意味する。1982年にイギリスとアルゼンチンの間で起きたフォークランド紛争では、イギリスの戦力とサッチャー首相の断固たる姿勢で、占拠されたフォークランドを奪還したが、日本にはその気概も戦力もない。アメリカの後ろ盾を望むことができない今、管政権はどのようにしてこの問題に対処して行くのであろう。
 第七に、管政権には国防の概念のないことが露呈してしまったことである。国家の主権の範囲である国境の厳格な警備は国防の基本である。それをあたかも中国の主権を認めてしまったかのような対応は、つけ込む隙を与えたことに他ならない。当面の問題回避の場当たり的な対応が、紛争当事者の行動に抑制をかけたという歴史はない。必ず次の問題を大きくすることに繋がる。中国は尖閣諸島を日本の領土と認めていない以上、必ず次のステップを踏んでくるものと容易に予想できる。今回の釈放の決定は、管政権の望む短期的な問題解決になるどころか、どこまで本気で来るのか試してやろうという誘惑を中国に呼び起こさずにはいられなくしてしまった。事実、逮捕に関して日本政府に対し謝罪と賠償を要求している。これに対し何らの対応を行わない限り、フジタの社員は釈放されないし、レアアースの禁輸も解けることはないであろう。今回の釈放は、最悪のタイミングで行った最悪の選択肢を選んで、国益を大きく損ねてしまった。所詮小市民の市民運動家に国家の大局観は望むべくもないのであろう。
鳩山首相と小沢幹事長の金の問題は、日本の政治の不毛さを如実に表したエポックメイキングな事件である。残念ながら将来に禍根を残さずにはいられない事件である。この2つの問題は、次の3点で歴史的な汚点となる。

1つめは、国民の納税意識の希薄化を招くことである。

11億7千万円もの巨額の母親からの贈与に対して、首相自身がまったく知らなかったという説明を、一体誰が信じるのであろう。収入のことを考えもしないで、巨額の経費を湯水のごとく使う人間には、それこそ一国の経営を担う資格はない。まともな生活者であれば、入りがいくらで出がいくらかぐらいは、漠然とではあっても必ず把握しているはずである。億というお金を毎年使う者であればなおさら、その資金の出所はどこなのかを知っていなければ、経営は破綻する。常識的に考えても知らなかったとは到底信じることができない。

また、母親からお金が出ているのであれば、少なくとも親子の会話で、「あれでお金足りたの?」「うん、何とかなったよ。どうもありがとう」程度の会話はなされるのが普通である。鳩山家ではお金を渡すのも受け取るのも、感謝もありがたみも、親子の会話さえもない家庭環境なのであろうか。そんなことはありえない。
政治家というものは、そんな姑息なうそでさえ平気につけるようになってしまう人種なのであろうか。

11億7千万円を自分の知らない間に受け取り、使うだけ使ったいたという説明を鵜呑みにして追徴課税、重加算税をかけない国税の腰砕けの対応もいただけない。仮にこの件が首相ではなく一般の民間人であったら、おそらく、国税の査察が入って逮捕であろう。ダブルスタンダート言われても仕方がない。そんな大金を使っていながら、資金の出所はわかりませんでした・・・という説明が通るほど国税は甘くない。明らかにミスではなく脱税である。

しかるに、今回の件は贈与税の納付のみでお咎めなしである。権力を持つものは納税をも許されるという悪弊を作った国税の責任は重い。これでは誰がまともに進んで税金を納めようと思うのか。権力を握れば脱税は見逃されるというインセンティブを政治家に与えてしまったことと同じである。権力者とそうでない人とは基準も厳しさも異なるという印象を与えた影響は、将来における国税の納税業務に対する支障がボディーブローのように効くこととなろう。


2つめは、国民の順法精神の希薄化を招いてしまったことである。

1国のトップに立つ2人のリーダーがともに相続税法違反、政治資金規正法違反の疑いをかけられたということは、前代未聞の異常事態である。いやしくも国政を担うもの、立法を行うものは、一般の国民以上に法に忠実であり、法を犯すことのないよう努力することが求められる。法を作るものが、「一般人は法を守れ!、俺たちは治外法権だ」では、法を守ろうとするものがいなくなってしまう。

首相は、「その件は終わった・・・」などと言っているが、本来リーダーたるもの、「瓜田に沓を入れず、李下に冠を正さず」の率先垂範が必須である。後ろめたいことがあれば、言葉に説得力がなくなり、人は付いてこなくなる。仮に、母親からの贈与を本当に知らなかったとしても、疑われた以上はそれ相応の対応が求められる。少なくとも「法的には問題なかったが、道義的・倫理的にはおかしいと思うので、自主的に追徴課税分と重加算税分は支払います・・・」とでも言うべきであろう。

この件は、もし見つからなければ納税をしないで、そのまま時候を迎えたことであろう。見つからなければ何をやってもかまわない社会を鳩山首相は望んでいるのであろうか。そんな人間が1国のリーダーとしてこれから何を語るのか? 子供たちに一体何を教えるというのか? 首相の対応はあまりにも無責任と言わざるを得ない。


3つめは、政治そのものに対する不信感を増徴させることである。今回の政権交代は、古いしがらみも多く、癒着やお金に関するトラブルも多い自民党を下野させて、新鮮・清廉な民主党に一度賭けてみようという国民の意識がそうさせたものだと私は考えている。しかし、民主党のTOP2人がお金をめぐる事件の当事者という、かつての自民党でもなかった醜聞に巻き込まれている状況を見ると、与党にも野党にも期待は持てそうもないという政治不信が確実に国民の間に浸透することとなる。

小沢氏は「検察と徹底的に戦う」と言い、首相は「戦ってください」と応援する。これがこの国のリーダーとなった2人の会話と聞くと、悲しくなるのは私だけであろうか。政権さえ取れば、あとは法を曲げてでも身内は守ると言っているようなものではないか。

小沢氏は検察批判ではなく、「自らの潔白を客観的な証拠でもって明らかにします」と言うべきであり、首相は「まず、事実を自ら明らかにして、その上で問題があれば結果責任を取るように」と指示すべきであろう。

「疑惑があれば道義的な責任を取って辞めろ」「秘書がやったことは政治家がやったことと同じ」という過去の発言を無視し、首相の地位にこだわり続ける鳩山氏には無理な話でしかない。


政権さえとれば・・・という考えは、与党民主党の議員たちにも広く蔓延している病気である。輿石氏は、検察のリークを調査するチームを立ち上げるという。捜査の可視化法案も今国会に提出するという。これは明らかに検査への圧力以外の何物でもない。

そんなチームよりも、民主党独自または国会で鳩山・小沢疑惑を徹底調査するチームを編成するほうが先であろう。民主党には自浄能力が欠如しているとしか考えられない。そんな声が民主党議員の中からあがったという話はついぞ聞いたことがない。一切の批判が封じ込められているとしたら、それこそ民主党に民主主義はない。ロベスピエールの恐怖政治が現代の日本に出現したような異様さである。

社民党も国民新党も表立っての批判がない。特に社民党は野党時代はあれほどお金に関しては煩かったのに、与党となったらこの静かさとは・・・ 彼らですら政権を取ればこのざまである。民主党の議員が、法を曲げて、いや逸脱しても、自分たちだけは許されると考えるようになるのもおかしくない。小沢氏を擁護する議員の声の背後には、そんな意識が垣間見えるところを、私は空恐ろしく感じる。

こうした状況を見て、政治不信にならない人間がいるだろうか?

民主党は信用できない。自民党は古い体質を引きずっていて退場したばかり。社民党、国民新党は問題外。批判はまともだが投票には値しない共産党。消去法だとみんなの党とは・・・

この国の選挙にはあまりにも選択肢が少ない。



鳩山首相はオバマ大統領との会談時、普天間の移設問題に関して、「私を信頼してほしい」と述べたそうである。その舌の根も渇かないうちに今度はシンガポールで、「見直しを前提としていることはオバマ大統領も合意している」と意味不明の発言をしている。この人は、日本国の首相であるが、その自覚が本当にあるのだろうか? はなはだ疑問の多い発言があまりにも多すぎる。首相としても言葉の重みをもう一度十分に認識すべきであると思う。

そもそも、鳩山首相にはリーダーシップが本質的に欠けているのではないか。普天間に関して首相は「県外が望ましい」といい、岡田外相は「嘉手納統合が望ましい」といい、防衛相は「キャンプシュワッブへの移転」と、3者がそれぞれ勝手にバラバラの発言を繰り返している。一昔前であれば閣内不統一で内閣総辞職ものである。3人の意見が異なることは一向に構わない。しかし少なくとも閣僚が外部に発信する情報は1本化されてしかるべきであろう。そうしたリーダーシップを鳩山首相が発揮した形跡はまったくない。党務は小沢、外務は岡田、予算削減は仙石・・・と丸投げにし、その間の調整を試みることもしていない。些事にまで首を突っ込めといっているのではない。大きなビジョンを提示し、それに沿うもの、沿わないものを見極めてしっかりと路線を決めることがリーダーとしての役割であろう。現状ではあまりにも無責任な対応であると言わざるを得ない。

政治家である以上、行動という言葉の裏づけが必ずなければならない。沖縄の外への移転に言及するのであれば、代替候補地を早急に明確にすべきであり、当然、候補地への説得に乗り出さなければならない。しかし、そうした具体的な行動があったことは一度として聞いたことがない。今のままではどの案も時間切れで、普天間継続使用という最悪のシナリオが現実味を増すばかりである。いたずらに沖縄県民や普天間の期待だけをあおるだけあおり、最後にどん底に突き落とすような所業は、誰であっても許されるべきものではない。

リーダーたるもの、八方美人であってはならない。アメリカにも沖縄にも社民党にもいい顔をしてリップサービスを繰り返し、いたずらに関係者を混乱させるようなことは野党の党首であれば許されよう。しかし、与党のしかも首相たるものは常にベターな案を決然と選択し、非情な覚悟で犠牲者に当たるべきであろう。もちろん、切り捨てたところにはそれなりのケアは必要であるが、それがエゴの増徴を招かぬよう常に注意を払う必要がある。

残念ながら鳩山首相にはその覚悟があるようには見受けられない。タイムリミットに際し、どう転ぶのか?そんなことを懸念させるリーダーを持った国は不幸である。

内閣府が7月~9月期のGDPの速報値を発表したが、その数値は何と実質で年4.8%! 景気の実感からすると、意外な高さの成長率である。

もっとも個別の寄与度を見ると、この成長率もいささか心もとない。現状の成長率は、貿易と設備投資の2分野で何とか引っ張っている状態であり、最もウェイトの高い個人消費は0.7%、名目ではマイナス0.1%である。公共投資はすでにマイナスとなっており、政権交代後の混乱と予算執行の遅れにともない、さらに落ち込むことが予想される。また、住宅投資はマイナス7.7%で、住宅需要に関しては厳しい状況がまだまだ続くものと思われる。

個人と住宅は、すでにボーナスの大幅なカットがニュースでも報じられており、来年にかけても低迷が続く。さらに雇用不安が輪をかけて消費者心理の悪化を推し進めている。残念ながら現状では自律回復は難しく、雇用と所得についてのカンフル的な政策がなされない限り、個人消費は上向かない。

さらに悪いことに、どうやら日本はデフレに陥ったようである。GDPデフレーターは0.2%と非常に低水準で、これは51年ぶりの低い数値だそうである。持続的に物価の下落が起きると、日本経済にとっては大打撃を与えかねない。物価の下落は消費者の買い控えを誘い、売り上げの減少、需要の喪失、所得の削減、雇用の減少、買い控え、物価の下落・・・とデフレスパイラルにはまりかねない。物価が下がって喜んでいられるのは今のうちで、いずれ経済に壊滅的な影響を与えるものがデフレスパイラルである。これだけは何としても食い止めなければならない。

民間需要がエンジンになりえないのであれば、公共投資で有効需要を創出するしか有効な手立ては見つからない。個人的には緊縮財政で1日も早くプライマリーバランスを黒字化させるべきと考えているが、デフレスパイラルを避けるためには一時的な棚上げもいたし方がない。もっとも野放図な国債の発行は、長期金利の上昇を招き、利払費の増大により、自らの首を絞めかねない。何とも悩ましい状況である。

ところで、民主党の一部では無利子国債も検討しているようである。個人で購入すると、相続税評価額を0にするという裏技をつけての発行とする制度設計がなされているらしい。姑息な手段とは思うが、1つの手段ではあろう。

それよりは、贈与税の非課税枠を、一時的にたとえば5,000万ないしは1億円とし、使途の制限を設けなければ、住宅、自動車、耐久消費財への波及効果が大きくなるのではないか。この非課税枠は、相続時生産課税制度とも分離し、純粋に非課税としてしまうのである。相続税はたかだか1.6兆円である。これが0になったとしても、こども手当てに所得制限を設ければ十分補填することが可能である。これにより、被相続人から相続人へ大幅な資金移動が生じ、相続人には住宅以外でも、どんどん消費してもらえばよい。無駄遣いをすればするほど有効需要が創出され、個人消費と住宅投資が大きく伸びるものと思われる。

金持ち優遇との誹りを受けるであろうが、金を持っているものに使わせてこその成長率である。残念ながら貧乏人に薄くばら撒いても政策効果は薄いのが現実である。最終的には全国民にとってプラスとなるということを丁寧に説明し、人々を納得させることができるか。これが政治の役目であろう。



岡田外相は普天間基地の移転問題に関し、「選挙で言ったことは公約ではない!」と国会で大見得を切った。マニフェストで書かれていないことは、たとえ政治家の口から出た言葉であっても、後で好き勝手に反故にできるし、いくらでも変えられるという内容である。政治家の言葉はいつからそんなに軽いものになってしまったのか?

以前でも選挙ではリップサービスのようなことも若干は存在した。しかしそれは、政策に何ら影響を及ぼさない平の政治家であれば、ある程度は許された問題である。少なくとも現職の閣僚が、しかも国会の答弁で述べるべきことではない。自らの言を否定するに等しい行為は、今後彼の述べる内容はすべてが虚言であると宣言しているものである。私は今後岡田氏の言は信じない。

岡田氏の言動は組閣後、首をかしげる内容があまりにも多い。普天間だけでなく、日米安保、天皇陛下のお言葉発言、アフガニスタン支援・・・そして今回の公約発言と、以前の姿勢からは考えられないほど稚拙かつ短慮な言葉が多い。心労による睡眠不足か、はたまた心身症かと思われるほど言動がおかしいと思っているのは、私だけあろうか。

常識的な岡田氏を知るだけに残念でならない。
政治家、特に閣僚の言葉の重みを十分に認識できる思考力を回復し、1日も早くまともに戻るよう祈るのみである。