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1958年式ポンコツ

歳と共に記憶が曖昧だなぁと感じ記憶が飛ぶ前に綴っていこうとブログをはじめました。
主にフィリピンの事やスーパーカブ・日常がテーマになりますが宜しくお願い致しますm(__)m

母の仕事を少しだけならと引き受けましたが日本の会社だし営業職だから

普段着では行けないよなぁと思い十数年ぶりにスーツを引っ張り出すとカビ臭い💦

とりあえずボロボロのスーツ一式をクリーニングに出して出社しました。

会社に行くと社員さんは6人の小さなオフィスで皆さん真面目そうないかにも

THEサラリーマンって感じで今までノホホンと生きてきた自分とは真逆すぎて

空気間の違いに最初は馴染めませんでした(笑)

みなさん一人一人とご挨拶が終わると既にアポイントのマニュアルが用意されていて

書の事をまるで知らない自分でもなんとか電話応対できましたが

たまにタガログ語が出てしまいごまかすのに必死でした💦

前ブログでも記したように本の販売ですが本屋さんには卸さずお客様のところに

本を直接持っていき見ていただくので主に車での移動になります。

しかし日本にはもう戻らないと思っていた僕は日本の免許は更新しておらず

当然失効になっていますので車は運転できないので助手席専用となります。

車の免許を取得するといっても一からやり直さなきゃならないし母が治れば

すぐにフィリピンに帰ると思っていたので車の免許はあきらめました。

車も大好きなんですが・・・

仕事をしているとき日本の親族から電話があり母親が入院したという事で

すぐにチケットを手配しちょっとそこまで感覚でみんなに母が入院した事を話し

何も持たず急遽帰国しました。

成田空港に着いて教えてもらった病院に直行すると自分が子どもの頃にも年に数回しか

会った事がなかったのですがそれでもわかるくらい母は衰弱しており親族に聞くと

肝臓の病気という事がわかり現在は治療と検査の段階だという事でした。

帰国二日後

日本に帰ってきて急に衛生管理のしっかりした食事をしたからか?

フィリピンでもなった事のない食中毒になってしまい数日寝込んでしまいました

なんでやねん(笑)💦

母が入院している病院に通院しながら見舞いをしていると母から当分退院はできないと

聞かされ入院しているあいだ会社を手伝ってくれないかと言われました。

母は元書道家でもあり先生で書に関する会社を営んでいて弘法大師王羲之などの書を

本屋さんなどには置かず書道の先生や学校にアポを取り訪問していました。

営業経験もない偉い大先生が書いた書もヘビが張っているようにしか見えないくらい

知識も経験もない僕にはできないしフィリピンでも仕事があると断ったのですが

お前しかいないと泣かれしかたなく少しだけならと引き受けました。

しかしフィリピンは心配だしちょっとそこまで感覚で手ぶらで帰国したので

どーする俺?って感じでした。

テレビで海外のドキュメンタリー番組を見ていた子どもたちが

今度の旅行はキャンプがしたいと言いだし僕も彼女もイイねーとは言ったものの

それまでの自分はキャンプをした事もなければキャンプ道具も持っていなかったので

とりあえず友人や周りの人に聞いてみるとテントを二つ借りる事ができました。

さっそく家の庭でテント張りの練習を何回もやりキャンプで使う道具も揃えました。

行くのはウチの家族とキャンプに詳しい僕の仲間と子どものクラスメイトたちとなり

人数は多い方が楽しいに決まっていますが責任も重大だなぁと思いながら出発!

最初はのんきにピクニック気分でしたが・・・

道はだんだんに険しくなり僕と友人はこういうの好きとばかりにワクワク🎵

子どもたちはヘトヘト(笑)

しかし頑張って登った先には美しく壮大な景色がみんなを迎えてくれます✨

夕方近くになりウチの庭で練習通りテントもうまく張れみんなで楽しく食事の用意をし     

食べて飲んでゲームをして楽しい一日を過ごせました😊                         

美しく壮大な景色もだけどみんなの笑顔が一番素敵でした。

 

 

きっと嵐って、朝日がそのあとにのぼってくるためだけに、あるんじゃないかなあ
by ムーミン

ほんとにねぇ嵐の去ったあとの空気や風景ってきれいだよね。
きっと人間が汚した地球をきれいにしてくれているのかもね。

たまには変化も必要ですわ。
わたしたちはおたがいにあたりまえのことをあたりまえと思いすぎるのじゃない?
by ムーミン
人間ってのは文明の利器に頼らなくても自然のなかで生きていけるんだよね。
自然の恵みを農民さんや漁師さんが育ててそれを美味しくいただいている。
それをあたりまえと思わず自然や育ててくれた人たちに感謝だよね。

ただ天災によって家屋を失った方たちや

せっかく育てた作物や漁に行けない人たちにとってはほんと切ないよね。       

子どもと一緒に読んでいる絵本には大人も惹きこまれ勉強になる事があります。

今日11月11日は介護の日でもあります。

そして偶然にも何もわからず初めてフィリピンに来た日でもあります。

空港でポリスと出会いダバオの病院に行きLOLOの病状や手術の手配をし

この時はLOLOの手術が終わったら帰国できるだろうと思っていました。

 

手術が無事終わり数日様子を見て帰ろうと思っていましたがダバオの自然に魅了され

介護をしてくれていたインターンたちのホスピタリティに感謝と感激していた僕は

もう少しフィリピンを知りたいと思うようになっていました。

若い頃の自分は介護なんてものにはまったく興味がなかったのですが

この出来事があって今の自分があると思っています。

 

フィリピン人のなかにはもちろん悪いヤツもいれば人を騙すヤツもたくさんいます。

しかしフィリピン人の原点は家族愛とホスピタリティだと思っています。

ちなみにLOLOは幸せに暮らしみんなに愛されながらフィリピンの地で永眠しています