春夏秋冬、日本には四季がある。日本に住んでいる私達はそれを実感し、四季折々の旬の食べ物を食べたり、季節毎の祭りがあったり、夏は花火、秋は月見、冬はウインタースポーツに興じたり、春にはまた新たな年の巡りを慶んだり、その他たくさんの方法でその時々の季節を楽しんだり味わったりしております。

 今は一般的には夏と言えると思いますが、聞くところによると暦の上ではすでに秋。この暑さも残暑と表現されるようですね。"暦の上では…"です…。では夏と言うのは何を表現しているのでしょうか?日付で区切るものなのか?つまり、暑い季節の事ではなく、日付でだいたい何時ぐらいから何時ぐらいまでという事を表しているのか?仮にそうであるなら、何かの異変が地球規模で起こり、寒い時期と暑い時期が入れ替わったとしても、8月は夏、寒く雪の降る夏という事になる。でもそれはあまりにも違和感があります。

 海外でも当然、季節という概念はありますね。無知で申し訳ないが、常夏の…などの表現をつけて語られるような地域に当てはまるかどうかはわかりません。しかし、世界公用語のような英語には、season、summer…など季節を表現する言葉は存在します。そしてその英語を使用する国は北半球、南半球、ともに存在します。先にも使った言葉、"wintersports"は冬に行うスポーツの事ですね。季節が我々が住む日本や、同じ英語を使うイギリス、アメリカと逆転している南半球でもスキーなどのスポーツはウインタースポーツと表現されるという事は、英語では寒い季節を表現する言葉と言えると思いますが、その言葉の出どころは北半球のイギリスなので、さらに突き詰めていかないとその究明はできません。また、日本語でも"オーストラリアでは8月は冬"など表現されますが、夏や冬という言葉が出来た頃にそのような、8月が寒い季節の場合がある、などの想定はしていないはずです。想定もしていない……ならそこまで深く考えて"夏"とか言い出した訳ではないって事か…。もし、日本語の"夏"が日付を区切るタイプの言葉なら、夏≠summerという事になってしまうかもしれない…など考えてたんですが、どうも得意の考え過ぎってやつだったようですね。

 まあ、趣や佇まいなど雰囲気を大切にする日本人の事、事務的に日付で区切る事はおそらくしないでしょうね。しかし、それにしても昔の日本人は気が早い。どう考えてもこの時期は夏でしょう。どこをどう取ったら秋になるのか、無知な私には理解不能です。地球温暖化などの影響など、夏が長くなってるんでしょうかね。あとで色々調べてみたいと思います。
 終戦記念日。ちょうど65年前の1945年8月15日、日本が降伏を宣言し、太平洋戦争が終結しました。玉音放送なるものを、実際にその耳でお聞きになった方も多くいらっしゃる事でしょう。二つの地方都市には原爆が投下され、首都圏をはじめとした、各地の大都市では大空襲が行われました。そしてその末、日本国民に甚大な被害と深い心の傷をもたらした悲惨な戦争には、終止符が打たれました。しかしその後も世界では、ベトナム戦争、イランイラクの抗争、テロ組織との戦いなど、各地で数々の紛争が繰り広げられ、今現在でも、世界各地で紛争に巻き込まれている一般市民が兵器や兵士達、或いはテロ組織の一員が偽装しているかもしれない事を警戒し、一般市民にすら怯える日々を過ごす事を強いられている人達もたくさんいるのが現状です。さらに日本国内においても、沖縄の米軍基地問題や北方領土問題など、未だ戦争に端を発した終結をみない問題も数多くあります。そういう意味では、日本国内においても、もちろん地球規模においても、本当の終戦記念日というのは迎えておりません。そしてその記念すべき日を迎える事ができるのかどうか、或いはその日を迎える意志があるのかどうかが各国首脳により協議されている、というのが今の現実ではないのでしょうか。

 この時期、軍人などではなく、被害者である一般市民自らが原爆や戦争の悲惨さを伝える事によって、核兵器や戦争の根絶を訴えようとしているのを見るにつけ、なんともやりきれない気分にさせられる。

 以前もこのブログにて申し上げた事もあると思いますが、"目には目を、歯には歯を"という古代ハムラビ法典の言葉がありますが、それは"やられたらやり返せ!"という攻撃的な発言に受け取られがちです。しかし実際にはその真意は、"目をやられたら目だけを、歯をやられたら歯だけを!それで遺恨を残す事無く終わりにしなさい!"という意味があるようです。世界で唯一原爆を落とされた国にもかかわらず、核武装や軍隊の保有を放棄した上に世界中に核根絶を主張する日本には、それ以上の精神を感じても不思議ではないようにも、また当然のようにも思いますが、いずれにしても日本は世界平和への重要な役割を担っていること思います。


 一方時は遡り、自分が高校生の頃。私は既に洋楽を聴いておりましたが、ロックの創生期とも表現される1960年代やそれが色んなジャンルに分かれていく70年代の音楽にはまだ触れておらず、それらを聴く機会を与えてくれたのがとある高校時代の友人でした。


 1960年代初頭、ビートルズ、ローリングストーンズを始めとしたイギリスの若者達が、音楽という手段でもって、霧や煙で薄暗く重苦しいような当時のロンドンやリバプールから、それ以降脈々と受け継がれていくビート(鼓動)を、ほとばしるみずみずしく若いエネルギーを、世界中に発していました。彼らの音楽は未だ色褪せる事はなく、いつでもそのエネルギーを私に与えてくれます。第二次世界大戦以降、復興や威光を取り返すべく奔走していたイギリスは次第に、階級などの影響もあってか、下層社会に様々な歪みを生んでしまいました。彼らはその鬱屈した歪みを突き破り、世界に飛び出して行ったのです。

 そして1970年代、ロックはハードロック、グラムロック、ヘビーメタル、パンクロック…様々な形で派生していき、大衆に受け入れられたロックはポップスとも言われ、メッセージを伝える道具として使われるようにもなりました。さらにロック音楽はアメリカに渡り(帰り?)、ロックの主役はイギリスからアメリカに取って代わられようとしていました。また、反体制のような要素を含むロックと大衆受けするポップスなどという認識もあったと思います。

 当時のアメリカはベトナム戦争真っ只中。国を挙げて正義を振りかざして始めた戦争にも、泥沼化の様相を呈し始めてからは、次第に疑問が投げかけられるようになり、それは批判へと変わっていきました。ここでベトナム戦争についての私見を多くを述べる事はしませんが、皆さんもそれぞれ、正しいかどうかは別にして、映画や音楽などを通じてなど、ベトナム戦争をはじめとした各国での紛争へは、何らかの印象をもっているのではないでしょうか。反体制的なロックは反戦運動の道具にもされ、アメリカ国民はラブアンドピース、戦争反対を合唱するようになり、反戦運動を抑圧しようとする政府と、ロック音楽の対立は深まりました。そのような時代背景からか、当時のロックからは狂気じみた魅力や、60年代のものよりも荒々しくて繊細、しかしまだ完成されてない武骨な魅力を感じることができる。アメリカの青春というか反抗期みたいな…。そして何かを生み出す、変える、突き破るエネルギーはとても強いメッセージとなる。例え言葉が違っても、また言葉を使わなかったとしても。そういう魅力を60年代ロックから感じる事ができます。そしてそれらは、例外は一部あるものの、うんざりするほど恋愛がテーマになっている、甘ったるい日本の歌謡曲からは、微塵も感じる事のできない魅力であり、パワーである。

 そのような音楽への扉を開いてくれた友人の名前が、パソコンで検索すると何件かヒットしました。どうやら彼は、地元の大きな公園でギターを抱えて反戦運動をやっているようです。アマチュアミュージシャンにより戦争の悲惨さや平和の大切さを伝えるイベントの企画を、メインでやっているみたいなのです。もちろん毎日とかではなく、年に一回のイベントですが。

 何にしろ、行動を起こすのは凄い事だと思います。きっと彼も、ロック音楽から絶大なエネルギーをもらっている事でしょう。これからもそのエネルギーやメッセージを発する側として頑張って頂きたいと思います。そして平和への一途な祈りを、こちらは陰ながらではあるがともに続けていこうと思う。
 今回はうちのペットについて少しお話ししたいと思います。

 オウム科オウム目の小鳥、オカメインコ。原産地オーストラリアでは、飛ぶと最速の鳥と言われているようですが、家の中では実に鈍臭く、決して機敏ではありません。性格は臆病、神経質で温厚。お気づきかと思いますが、オウムなのにインコという名前がついております。オウムの中では最小のようです。余談ばかりになりますが、オウムとインコの違いは簡単に言えば、冠羽と言われるトサカのような長い毛が頭にあるかどうかで判別され、あるとオウムになるようです。興奮したり驚いたりするとその毛を真上に立てます。また和名のオカメインコの由来の要因でもある、チークパッチと言われる頬のオレンジ色の丸い模様も実に愛らしく、そのあたりを軽く撫でてあげると恍惚の表情を浮かべ、普段では発しない鳴き声をあげたりします。

 全てを記すととてつもない長文になるので、本日は軽く紹介するにとどめておきます。


 メスのノーマルグレー。生後約1ヶ月から、甘えん坊だからかかなり長めに挿し餌(それ用の器具を使って食べる手伝いをするようなやり方)を与える事になり、約2ヶ月間根気強く与え続けました。この種の鳥は一般的にオスの方が甘えん坊で、メスは比較的独立心旺盛。うちの場合でも頭を撫でる時以外は体を触られるのを嫌がります。一丁前に反抗期も二度ほどあるようですが、うちの場合は全くそれは感じませんでした。ケージから出た時は飼い主である自分の体のどこかにとまり、離れることはありません。物音などに驚くと部屋の中を鳴きながら数周して、肩に舞い戻ってとまります。驚いているので、そんな時は冠羽は妖怪アンテナのように立ち上がり、首を伸ばして細くなります。顔の様子が、ピエロやサンタクロースが被っている三角錐の帽子がありますが、それを被っているような様子になってます。リラックスすると首を縮め、嘴の周りの毛をヒゲみたいに広げて、まるで板垣退助氏のような表情でウトウトします。因みに鳴き声はオスの方がうるさく、喋り真似などもオスの方が得意のようです。ただし、雌雄の判別は生後約半年位までは非常に難しく、DNA鑑定でもしない限りは正確に区別する事は、獣医やブリーダーでもなかなかできません。


 生態について私見ですが。

  彼らは野生下では群れで行動します。群れを離れてしまうと外敵に狙われやすく、一人になったりする事は死に直結する事と認識し、非常に怖れます。だからこそ仲間を大切にし、行動を共にします。同時に仲間内でも上下関係はなく、飼育下でも飼い主に服従するような感覚は持ち合わせてなく、好き嫌いの順番位しかないので、躾るのに怒ったりするのは逆効果とも言われる事があります。ライバル意識も強く、嫉妬したりするのは日常茶飯事です。その嫉妬によるストレスから自傷行為に走ったりしてしまうこともあります。またそういう意識からか、仲間が食事を始めるとみんなが食事をし始めたり、囀りが波及したりもします。

 手乗りにするためには仲間と認識してもらう必要がありますが、インコやオウムも人間も主に声を使ってコミュニケーションをとります。仲間である人間が使う言葉を、ライバル意識や仲間意識からか真似したりするようです。ほとんどがたんなる喋り真似にすぎませんが、時折状況にあった言葉を使って"大丈夫?"とか"おかえり"など意識的に言ったりするようです。うちの場合は全く喋りませんが…。

 みなさんも見たことあると思いますが、雀くらいの大きさのセキセイインコも、人間の行動や感情を察したようなお喋りをする事はあります。また、寿命が50年~100年にも及ぶとも言われる大型インコやオウムも、場合によっては簡単な日常会話も少しなら可能だと聞いた事があります。研究対象になっていたアレックスという鳥は有名です。検索すれば、その賢さを知る事ができるかもしれません。

 うちのインコについて、また機会があれば書いてみようと思います。それでは…。