勇気づけの嵐
ベストセラー書「嫌われる勇気」で大ブレークを果たしたアドラー心理学では、困難を克服する活力を与える「勇気づけ」をとても大切なものと考えています。
本ブログは、夫婦関係、子育て等の困難から救われた自らの経験を活かす為、幸福を目指すこの心理学の案内役となり、各種ワークショップやカウンセリング等への橋渡しができればとの思いでスタートしました。
また、勇気づいた人の象徴的存在である嵐の活動、旅や趣味の世界等についても合わせて綴っていますので、同好の方にお楽しみ頂けたらと思います。
巻き起こせ!
勇気づけの嵐
<重要なお知らせ>
【記事再掲載のご案内】
本ブログに移行して来る前の記事を現在時刻で再掲載したところ、多くの方にご覧頂き好評でした。
そこで、最初に戻って再々投稿して行きたいと思います。
既にご覧頂いている方々には、はなはだくどい事になってしまいますが、続けてすぐに新規の記事を投稿しますので、少々お待ち頂けると有難いです。
その際、本記事はオリジナル日付2018年6月20日に変更しこちらの記事一覧に加わって行く事になります。
<シリーズ・自由研究ノート>
【お断り】
本シリーズでは、今までのキーワードシリーズと異なり極私的見解が多く含まれて来ますし、にわか学習による誤認もあり得ます。
なので、アドラー心理学についても触れている、色メガネを通して書いたエッセイとお読み取り頂ければ有難いと思う次第です。
【勇気づけの嵐・9】
3)超2ありがとう/詩:Erykah ’06.7
・ 「どんなときもありがとう伝えよういつも」
1)でも触れましたが、最初は違和感があっても、「済みません」でなく、「ありがとう」と言う癖にしてしまえばしめたものです。
・「にらみあってたオヤジにもよく見たらいいとこあるな」
これは「ヨイ出し」と言う勇気づけ技法に繋がりますね。
悪い点に注目する減点主義を止め、結果でなく過程に注目して、ヨイとこ探しの加点主義を実践します。
(続く)
【アドラー心理学と信仰・愛について(対神関係論)・9】
もう一つの非建設的な劣等克服対応は非活動的な回避による自衛です。
信仰に関わる事については、解説書にはほとんど記述がないのですが、アドラー自身の著書には結構登場します。
アルテから出ている「性格の心理学」では、「信仰に逃げて、自ら問題解決しない事について、問題だ」と指摘しています。
敬虔に接していれば、神は常に自分に奉仕してくれるという考えに取り付かれている人が困るという訳です。
また、同じ様な甘えは、逆に敬虔と言うよりも、神を畏れずお友達感覚で捉え、こんなに豊かで長生きできる時代になっても、見返りを期待して商売繁盛や無病息災等、自分中心の事しかお願いしない御利益(ごりやく)主義の人、葬儀や施しに大金をかけておけば安心の人、不幸を試練と感じないで神様を恨んだりする人にもあるのではないでしょうか。
この辺の日本人にありがちな問題については、橋爪大三郎、大澤真幸両先生の著書「ふしぎなキリスト教」で、解り易く説明されています。
因みにこの著作は、<信仰、科学との関係>で述べた心的現実の視点があまりないのが残念ですが、社会と信仰の関係については、一神教になじみが薄く、キリスト教に不思議さを感じてしまう日本人にも理解し易い様に述べられています。
さて、ユダヤ教からキリスト教に改宗しているアドラーの先の指摘は、後述するフロイトやニーチェの宗教批判と同じ事を言っている様にも思えますが、アドラーは信仰そのものの否定ではなく、その様に自己決定する人の姿勢を指摘している事に注意が必要です。
余談ですが、フロイトはニーチェと同じく無神論者で、キリスト教については幻想、つまり、愛というより、無意識的欲動を強く抑圧し、葛藤の原因になる父親的で権威道徳的な超自我の代表として、あるいは、それに従った結果の褒美として与えられる、弱さからの救済を目的として、人間が作り出したものと捉えていました。
しかし、神は、人間が作り出す程度のものではなく、計り知れないもので、せいぜい心で捉えることしかできないものだと考えるのが自然だと思いますし、実際の所、受取り方によっては、無意識の働きを言い訳にしてしまう救済が、人間が頭で作り出したフロイト教になってしまっているのではないか、とさえ言いたくなってしまいます。
さて、信仰に逃げる他にも、言い訳をして困難から逃げたり、これも極端になると、疾病利得と言って、運命や遺伝的な要因以外で体に異常をきたしたり、神経症や精神病に逃げ込んで課題を避けようとしたりする事があります。
これらは劣等性、劣等感と区別し、劣等コンプレックスと言っています。
前回書いた支配的な「力への意志」の中に、ニーチェが罹患した病による、自身が神であるとの妄想を取り上げましたが、精神病や神経症は、むしろこちらの非活動的スタイルに分類した方が適切だと思われますので訂正致します。
さて、回避が劣等克服の目的だと言うと、ピンと来ないかも知れませんが、「逃げるのは自分が病気だから仕方が無いのですよ」と相手に思わせる事で、ハードルを下げ克服を果たしているのです。
また、劣等感をごまかす回避の仕方もあり、あたかも自分は優越であるかの様に振る舞うのですが、これを優越コンプレックスと呼んでいます。
有名人とのつながりをやたらと強調する人や、速水敏彦さんの「他人を見下す若者たち」と言う著書に出てくる最近の若い人の特徴も、正に二次大戦前に活躍したアドラーが研究し指摘していたんですね。
(続く)
<アメブロ過去記事の復刻>
今回は「嵐」楽器演奏についての過去記事を載せます。
時折個々に楽器演奏を披露して頂いて、意外と耳にする機会はあるものの、5人でのコンサートのバンド演奏となると、以前公演目前にお蔵入りになったきりで未だに観られていません。
一方、バラエティ「嵐にしやがれ」等では、にわか仕立てかもしれませんがバンド形態が楽しめてます。
ゲストがトータス松本さんの時には、得意のブルースかサム・クックかと期待が高まったのですが、意外にもあっさり系の演奏でした。
長渕剛さんや布袋寅泰さんの時のギター合同演奏なんかでは、器用さからすぐに形になってましたね。
さて、ニノさん・相葉さんはコンサートでも得意な楽器演奏を披露してますし、バラエティからも分かる様に他のメンバーもセンスが大いにあるので、再挑戦で少し取り組めばコンサートでも結構まとまるのでは。
日頃の練習も大変かと思いますが...
過去の個々の演奏経歴から担当楽器を妄想的に!勝手に割り振ってみましょう。
二ノさんはピアノ・キーボード・ギター・ベース・ドラム。
野口五郎さんと同じで、いわゆるマルチです。
相葉さんのブルースハープですが、ジュニア時代のが、国立のより聴き応えあって驚き!
サックスは結構バリバリ吹けてましたので、体調を見ながら再挑戦?
「黄色い涙」で苦労したギターも行けるか。
ピアノは、NHKがらみの紅白・ドラマで観られた翔くん・潤くんでしょう。
翔くんはギター・トロンボーンも行けそう。
大ちゃんはつり竿をスティックに持ち替えて再挑戦。
お父上がドラム得意だそうで...
メインボーカルは勿論担当して頂きます。
他にも潤くんはキャブ・キャロウエイに倣って指揮・バンドリーダーもお願いしたいところ。
以上、バンド内で楽器をとっかえひっかえして披露頂きたいものです。
オープニングを飾る曲は、ブルースの名曲「ストーミー・マンデー」。
それでは、Lord have mercy.張り切ってどうぞー!
<オリエント急行の旅・9>
パリ東駅では長い停車時間があり、ホームから通勤列車や長距離列車等の発着を眺めていると、途中駅で乗り込み見学したレールバス風もやって来ました。
ふとホ-ムの先の方を見ると、我がポンニチの若者が、線路に入り込んで撮影しているのが目に止まるではありませんか!
案の定、駅員の方にこっぴどく怒られてました。
撮り鉄の悪行、世界にとどろく!ですが、前日体調崩した伴侶を省みず、夢中で風景写真を撮りまくっていた自分の姿に重ね合わせ、恥ずかしく思いましたね。
さて、この駅は終端駅なので進行方向が変わります。
前回書いたプッシュプル方式ではないので、待機していたゲンコツタイプの電気機関車が最後尾に付き、これから牽いてもらいます。
街並や車両基地を車窓から観光しつつパリを抜け、昼食後しばらく走ると、港のあるブローニュ。
ここでパスポートの返却を受け、ブルーの車両やフレンドリーな乗務員さんとお別れです。
お世話になりました。
丸一日半、駅から外へは出ませんでしたが、退屈どころかホントあっという間の列車旅でした。
(続く)
<鉄道動画集>
YOU TUBE「スヌーピー1」からご覧下さい。
(続く)