ここ最近、デートと言えば
食事と飲みにしか行っていないことに気付いた。
学生時代であれば
映画だったり、遊園地だったり、色々選択肢があったはずなのに
いつの間にか、パターンが出来てしまって
ただ、相手や行くお店が違うだけで同じ事の繰り返しだ。
だから最近デートに乗り気になれないでいるのだろうか。
最近デートする相手は、
相手もまあ、いい歳なのでお店のランクも断然違う。
新しいお店を知れて、まあ、問題はないのだけれど
どうしてもマンネリ化してしまって、デート自体が面倒になっている。
この歳になれば、大抵の事は予想がつく。
自分に気があるのかどうか、どのタイミングでキスをするのか
どのタイミングで笑って、どのタイミングで帰れば良いのか。
昔のようにときめきがないのだ。
もう、人間としてすれすぎて、ときめきという感情さえも枯渇してしまったのか。
これから先、もう二度と抱えることのない感情なのか。
それであれば、もっとその時大事にしていれば良かったと思う。
何を着ていこうと悩んだり
連絡が来る度に一喜一憂したり
ただ、一緒に居られるだけで幸せだったり
誰かの事を、ただ単純に、好きだと思えたのはいったいいつまでだっただろう。
あまりに長い時間、あまりに多くの相手と過ごし過ぎて、
あまりに臆病で、真剣になりたくなくて
その結果が今の私なのだ。
今思えば、素敵な人はたくさん居たのだと思う。
私達はその人達の粗探しをし続け、何かしらの欠点を見つけては
彼じゃ駄目なのだ、別れて良かったと、
深い関係にならずに良かったと、誤魔化し続けて来たのだ。
結局、何の特別な感情もなく、
ただ、一緒に過ごす事が苦ではない男性と
いつものようにデートを繰り返しているだけだ。
恐らく来年も、再来年も。
私はそんな女ではない、私は真剣に、誰かを探しているのだ
と言う人も居るだろう。
でも、未だに特別な相手を作らず、作っても長続きせず
同じ事を繰り返しているという事は、やはりそういう事なのだと思う。
実際、誰か特別な誰かを探す事自体面倒ではないか。
私自身、また最初から、本気の何かを始める事が面倒でならないのだ。
周りの友達が言う。
「いつまでもそうやってデートの相手が居るわけじゃないんだから」
だから、の後に続く隠された言葉はきっとこうだ。
「だから、そろそろ誰か1人に絞って落ち着いたら?」
私達は別に遊び人な訳ではない。
大半は、誰それ構わず遊び散らかす悪女タイプでもないだろう。
ただ、「特別な誰か」を見つける事が怖かったのか
「特別な誰か」自体、必要としていないのか。
その何れかなのではないだろうか。
けれど、もし、
もしも私達が食事や飲みだけではなく
水族館に一緒に行けて、一緒に居る事が苦ではない人が居たとしたら
そしてその人と旅行に行くことさえも出来たなら、
もしかすると、その人が最後の「特別な誰か」なのかもしれない。