2025年11月29日の犯人は | ゲームを積む男

2025年11月29日の犯人は

今日はファミコン版『ポートピア連続殺人事件』の発売日でした、1985年11月29日が発売日だったので今日で発売40周年ですね。



『ポートピア連続殺人事件』は1980年代の神戸を舞台としたオリジナルストーリーのアドベンチャーゲーム、神戸のとある資産家の殺人事件を調査する事になったプレイヤーとその部下が事件を操作していくなかでその資産家が買っていた恨みやその周囲の人々を知っていく中で事件の真相に近づいていくストーリーになるかな。

本作は後にドラゴンクエストシリーズの生みの親となる堀井雄二さんがパソコン向けに開発した作品が大本、当時アメリカでテキストアドベンチャーゲームが流行していることを知った堀井さんが物語を描く手段としてそのジャンルに注目してサスペンス的な物語と組み合わせて開発したかな。

ゲームは兵庫県警の捜査一課のベテラン刑事で「ボス」と呼ばれる主人公=プレイヤーがその部下の「真野 康彦」に様々な操作の指示を行うと言う形で展開されており、パソコン版ではその指示を直接キーボードでタイピングする形で行っていたけれどファミコン版ではそれが難しいからあらかじめ用意された様々なコマンドの中から指示を選択すると言う形が生み出されたかな。

ファミコン版の開発は堀井さんと似たタイミングで当時のエニックスが主催したゲームコンテストで入選して会社を立ち上げていた中村光一さんの会社であるチュンソフトが行っており、ファミコン初となったアドベンチャーゲームであるポートピア連続殺人事件で培われたコマンド入力がのちのドラゴンクエストシリーズに繋がっただけではなく他のアドベンチャーゲームにも大きな影響を与えたんじゃないかしら。

また、プレイヤーが部下の刑事に指示を出して調査を行うと言うシステムがそのまま物語の結末につながるギミックになっていたのも大きな特徴、あまりにも有名すぎるネタバレがあるよね。

そんな有名すぎる本作だけど実はファミコン版からの移植はほとんど行われおらず、過去に携帯電話のアプリ向けに移植された事があったけどすでに配信終了済み。

パソコン版の発売から40周年を記念した2023年にAIを使ったテックプレビュー版としてリメイクがSteam向けに無料配信されているけど現時点で遊ぶにはそれしかないかな。

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堀井雄二、「ドラクエ」と「ファイナルファンタジー」の違いを語る FF10を初めて見たときの感想は「FFの究極の完成形」

そんなポートピア連続殺人事件の生みの親である堀井雄二さんはドラゴンクエストシリーズで日本にRPGと言うジャンルを定着させた立役者としてあまりにも有名。

日本で生まれたRPGやいわゆるJRPGと呼ばれるジャンルの原点がドラクエにあると言えるんだけど、そんなドラクエと並び立つ有名なRPGシリーズとして知られているのが「ファイナルファンタジー」シリーズであるかな。

今でこそ同じスクウェア・エニックスから発売されている作品だけどかつてはエニックスとスクウェアから別々に発売されていたシリーズで、当然ファイナルファンタジーもドラゴンクエストの影響は受けた作品ではあるけどそれとは違う方向性を目指した作品としてヒットしたかな。

そんなドラクエとファイナルファンタジーの違いに関して堀井さんがドラクエ7の再リメイク版に関連した海外メディアのインタビューにて聞かれて改めて言及したことがあったみたいで。

ドラクエとファイナルファンタジーの大きな違いは主人公の扱われ方かな。

ファイナルファンタジーでも物語の「主人公」とされるキャラクターは当然存在するしゲームはそのキャラクターを中心として展開していくんだけど、あくまでもプレイヤーはその主人公を中心とした物語を傍観する立場なんだよね。

だからこそストーリーが展開される時は主人公も色々と喋るし、場合によっては主人公以外のキャラクターの物語を追っていく場面も多く存在していたかな。

その一方でドラゴンクエストでは「物語の主人公=プレイヤー」と言う構図を徹底しており、ストーリーで主人公は基本的に喋らないし、物語の中でそのストーリーの主人公とは別の人物の視点で物語を描く時はそのキャラクターがその場面での主人公として扱われることになるかな。

それがわかりやすいのはドラクエ4で、オムニバス形式で第1章から4章までそれぞれ別のキャラクターを主人公として物語を描いてその後の第5章にてメインの主人公が登場すると4章までの主人公たちは仲間として登場する際はそれぞれに台詞を喋ることになるからね、オリジナルのファミコン版では第5章の戦闘で直接命令を出せたのは主人公だけだったのもそれが大きいかな。

その一方で堀井さんが考えるとファイナルファンタジーの究極の形と考えているのが『ファイナルファンタジー10』なんだとか、PS2向けに発売されてDVDメディアでイベントシーンなどでキャラクターボイスが初めて実装された同作は物語を描く上で到達点だったのは間違いないんだろうなぁ。

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2025年は,「セガガガ」の舞台となった年。“ゲーム開発の理想と現実”を,きわどい表現で熱く描いた名作について,10のポイントを通して再確認

1998年に発売した「ドリームキャスト」はセガの最後の家庭用ゲーム機として前世代であるセガサターンの反省をもとに設計されて3D性能の高さや開発のしやすさに加えて本体サイズがコンパクトに収まっていたりインターネットを始めから使えるように先を見越した部分もあったゲーム機だったんだけど、本体の立ち上げ時に使用するチップの歩留まりによって生産数が用意出来ずに立ち上げに失敗してそれを立て直す前にPS2が発表されたことでそのまま伸び悩んで2001年に生産終了とセガの家庭用ゲームハードの撤退になったのは有名な話。

そんなドリキャスの撤退発表から間もない頃に発売された作品が「セガガガ」と言う作品。

セガガガはドリームキャストが大ヒットしていた時間軸としてその後の約30年近くを現役ハードとして戦ってきた2025年が舞台、その時点でのドリキャスのシェアが3%まで落ち込んでおりそこからの巻き返しを狙うためにプロジェクト・セガガガを立ち上げたと言うストーリー……と言う色々な意味で自虐的な意味合いが大きかった作品。

改めてそんなセガガガを眺めていると2000年の頃は25年先ってものすごい未来として見ていたんだろうなぁってのがよく分かる感じかな。

超巨大なビルとかなんかサイバーな景色とかロボットが当たり前になっていたりとか気軽に宇宙に行ったりとか。

確かに現実の2025年もロボットは飲食店の配膳で見かけるようになったし億万長者が宇宙旅行に行ったりしているけど地球から見る景色は2000年とそこまで大きく変わってないんだよなぁ。

セガガガ以外にも90年代から00年代前半に開発されて2020年代を舞台とした作品って色々とあるんだけど時間の長さの印象が違うんだろうねぇ。

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「スーパー戦隊」終了の理由は? レッドだけが残った、少し切ない現実

先日新しい特撮ヒーロー作品として『宇宙刑事ギャバン』のリブート作として『超宇宙刑事ギャバンインフィニティ』と言う作品が発表されて、それが今後展開する「PROJECT R.E.D.」とされる新しい特撮ヒーローシリーズとして展開されるのと合わせてこれまで続いていたスーパー戦隊シリーズの終了であることが正式発表されたよね。

スーパー戦隊シリーズの終了はその少し前からメディアで取り上げられるようになっていたんだけど、その大きな理由としては大スポンサーであるバンダイのIP別の売上を見てもはっきりとわかる落ち込みと制作費の高騰があったんだよね。

最終作となった作品で出演者の未成年飲酒での降板とかもあったけどそんな程度ではシリーズ終了はないわけで、その一方で売上の低迷と制作費の高騰による現場の疲弊ってのはあったのは事実みたいでその抜本的な大作として根本から見直す必要があったと。

スーパー戦隊ってのは戦隊って名付けられているからには平均して5人のヒーローが登場する必要があるわけで、そうなるとその分のアイテムを開発する必要があったりしてキャスティング費用も嵩むし売上も分割されたりすると。

だからこそ「PROJECT R.E.D.」として「赤いヒーロー」を中心とするのは主人公としてのレッドをメイン商材として仮面ライダーと同じ程度のヒーロ数に抑える必要があるんだろうなぁ。

ヒーロー数の削減によりコストを集中させて売上も集中させると共に海外展開もやりやすくすると、その第1弾が過去タイトルのリブートなのは当時見ていた大人が子どもと一緒に見てもらうことを期待していると考えるとすごくわかりやすい作り方よね。