ななくさな2024年1月7日 | ゲームを積む男

ななくさな2024年1月7日

今日は七草粥な日ですね、毎年の1月7日にその1年の無病息災を祈って春の七草や餅を入れたお粥を食べる習慣だそうで。

ちなみにそんな事をど忘れしてて今日の朝はシリアル食べてました、わーい洋風ー。

ーーーーーーーーーーーーー
任天堂元社長・岩田聡氏への「幻のインタビュー」を海外記者が公開。ニンテンドーDSにタッチパネル採用の理由など貴重な証言が続々発掘

任天堂の元社長である故・岩田聡さんと言えばプログラマーとしてHAL研究所の初期メンバーとして活躍して同社が経営危機に陥った時に当時の任天堂社長だった山内溥さんの指名により社長へ就任して立て直しに成功、その後任天堂へ入社して2002年にはそれまで同族経営だった任天堂の社長へと就任してニンテンドーDSやWiiなどの大ブームとなるハードを生み出したけれどSwitch発売の2年前となる2015年の7月に病気で亡くなられた人。

最後に表舞台に出たのは亡くなられた年の3月にあった任天堂とDeNAの業務提携に関する会見だったかな、任天堂IPを生かしたスマホアプリの開発や運営をDeNAが行い任天堂関連のネットワークシステムの構築にもDeNAが協力する一報でその延長線として次世代のゲーム専用機となるコードネーム「NX」……後のNintendo Switchが開発されている事が正式に発表されたんだよね。

残念ながら岩田さんはそのSwitchが発売される場には立ち会えなかったけれどその大ヒットは知っての通り。

そんな岩田さんが今から20年ほど前のE3にて海外メディアのインタビューを受けた時に未公開だった部分などが当時の音声テープと共に発見されたみたいで、その担当記者だった人が当時の音声と共に公開しているみたい。

2004年と言えばその年の12月にニンテンドーDSが発売されて大ヒットを記録することになるんだけどインタビュー当時はまだDSの概要が発表された程度の事、任天堂の主力はゲームキューブとゲームボーイアドバンスで当時のシェアトップだったPS2と比べると見劣りするしそのソニーが発表したPSPが携帯ゲーム機市場も席巻するんじゃないかと注目されていた頃かな。

そんな時期なだけに岩田さんのインタビューを実現出来ていたけれど表に出せたのは数行のみで大半のインタビューがそのままお蔵入りになっていたみたいで録音したテープも埋もれていたって事かな。

そんなインタビューの内容はニンテンドーDSを発売する理由とかエンターテイメントに関する危惧感など。

1983年にファミコンが発売されてから当時は20年が経過してそれまでのゲームの進化は映像を豪華にしてシステムを複雑にする事で満足度を高めていったけれどそれだけでは必ず飽きられてしまう事を当時から危惧していたみたいで。

任天堂はファミコンで十字ボタンとABボタンの操作を始めて、ニンテンドウ64ではアナログスティックや振動などの新しい操作を加えていったけれどそれでも同じことを繰り返すだけではこれまで遊んできた人が続けて遊ぶだけで新しいゲームプレイヤーは増えないと。

当時から岩田さんは「ゲーム人口の拡大」を最大のテーマとして掲げておりそのためにこれまでゲームを遊んでこなかった人も遊んできた人も同じスタートラインに立つための入り口として2画面やタッチパネルを採用したDSを発表したりモーションコントロールを主体としたWiiを発売したってのがあるんだよね。

その試みは大きく成功したわけで、特にDSなんかはまだスマホが出る前からタッチパネルを採用していたわけで、むしろタッチパネルのスマホが広がる最大のきっかけになったのがDSだったのもあるかもなぁ。

ちなみにWii Uは商業的に失敗したとは言え根本的な考えはゲーム人口の拡大を貫いていてその方向として家族のじゃまにならないゲーム機を目指していたと思うんだよね、その方向性を進めたSwitchがヒットしたことを考えるとその考えは間違ってなかったわけで。

岩田さんが亡くなった後も任天堂の基本的な考えはゲーム人口の拡大って部分から変わってないけれどSwitchの次をどうするかってのは難しいんだろうなぁ。

公開されているインタビューは2004年で当時はファミコンが20周年を超えていた時期、今はファミコン40周年の時期になっておりまだ豪華な方向に進むゲームもあるんだけどその一方でSwitchの大ヒットもあり二分化した印象もあるかな。

PS5やXbox Series X|Sが求めているひたすら豪華にする方向が何処まで行くのか、任天堂がそれとは別の方向でどのような道を見つけ出すのかわかるのはまだ先の話かな。

ーーーーーーーーーーーーー
「テトリス」13歳の少年が前人未到の「レベル157」に到達 システムの限界を迎えてゲームがクラッシュ

海外のファミコン……NES(Nintendo Entertainment System)版の「テトリス」の限界に到達した13歳の少年の話。

テトリスは1980年代にソ連の科学者だったアレクセイ・パジトノフが開発した事で知られるパズルゲームでいわゆる「落ちものパズルゲーム」の元祖とも言える作品。

初期のテトリスはライセンス関連が複雑かつ面倒くさい事になっていたのもあってNES版と日本版でそもそもの開発が違っていたりするんだよね、更にNES版のテトリスは初期に発売されたテンゲン版と任天堂が発売したバージョンがあって任天堂が開発したバージョンはゲームボーイ版に近い作りかな。

日本のファミコン版テトリスと言えば下ボタンで回転させてAボタンで落下させると言うクソ面倒くさいシステムを採用していた事でも有名だけどNES版は現代のテトリスと同じABボタンで回転して下ボタンで落下させる仕組み。

そんなNES版でかつ任天堂版のテトリスは延々とプレイできるモードがあるんだけど当然レベルが進むと落下速度が早くなっていくのがあって、更には今のルール化されたテトリスと違い当時のテトリスはブロックが設置したらすぐ固定してしまうのもあって落下速度が早くなるとほぼプレイ不可能になると言われておりレベル29が限界と言われていたんだよね。

それが連打を組み合わせた操作を行うことでレベル29を超えるプレイが可能になったみたいで、それでも仮定としてレベル155を超えるとゲームそのものがフリーズしてしまうと予想されていたみたいだけどそこまで到達できる人はいなかったみたい。

その限界に到達したのが13歳の少年だったみたいで、想定されたレベル155を超えて157でフリーズしたみたいで。

NES版任天堂版テトリスは一部の競技シーンでも盛り上がりがあるみたいで、発売当時のリアルタイム世代じゃなくても競技シーンで見た世代が遊んだりしてこうした事が起こるって事なんだなぁ。

ーーーーーーーーーーーーー
残念?そうでもない? 2023年に消えたテック関連サービス・製品たち

いつものことながらGoogleって容赦なくサービスを終了させるよね。

そんなGoogleはまじでいつものことみたいな感じになっているけど、NetflixがDVDレンタルを終了させたりとか量販店でのDVD販売が終了したりしているのは一つの時代の移り変わり感があるなぁ。

Netflixと言えば月額990円のプランを終了させて広告付きプランを最廉価プランにしたりするのはこれまた違う意味で時代の変化かな、コスト上昇が重いんだろうなぁ。