C2M#モーターショウ

C2M#モーターショウ

セリカとシトロエンがメインのミニカーコレクション
I t ' s A l l R i g h t .

 

ベルトーネ・ストラトス HF ゼロ

 

今から半世紀以上前の1970年にイタリアの自動車メーカーであるベルトーネとランチアが制作しトリノ・ショウで発表した、地を這うように低いスポーツ・コンセプト・グランドツアラー、それがストラトス HF ゼロです。

 

55年経った今見てもなお全く色褪せること無く、どこもかしこも未来感に満ち溢れています。

 

デザインはマルチェロ・ガンディーニが担当。車名「ストラトス0」は当時流行していた宇宙時代の「成層圏の限界」になぞらえて名付けられました。HFは「高品質(High Fidelity)で意のままにドライブできる」という意味です。

 

驚異的に低い車体の全高はわずか 84cm。フロント・ガラスを開けて乗り降りし、その際には邪魔にならないようステアリング・ホイールは跳ね上げ式。なお、背面の三角形はエンジン・フードです。

 

ストラトス・ゼロの発表から3年後に発売された名車「ランチア・ストラトス」はこのコンセプトカーの市販化バージョンです。

 

このミニカーはホットウィール・プレミアムで57分の1スケール。

今年2月に発売されたばかりの新車です。プレミアム・シリーズのためちょっとだけ高価で、トイザらスでは849円でした。

低いクルマ好きには堪らない一台です。

 

 

トヨタ・クラウン セダン


2022年9月発売の16代目クラウンは、それまでのクラウンの伝統的かつ古典的なセダンのスタイルを一旦捨て去り、カテゴリに囚われない「クロスオーバー」と呼ぶ新しいスタイルで登場しました。

 

4種類の異なるボディで展開される新しいクラウンの第2弾は2023年11月1日発売の「クラウン スポーツ」。そして第3弾となった大本命「クラウン セダン」は同月13日に発売されました。

 

更に第4弾の「クラウン エステート」は2025年3月に発売され、これにてシリーズ4タイプは勢揃いとなりました。

 

「ミライ」をベースに仕立てられたため、シリーズ中、唯一車高が低くてFRとなる「セダン」が本命だと噂されるとおり、なるほどボクの目から見てもセダンが一番大人っぽくて粋を感じます。

 

オヤジグルマはやっぱり粋に乗らないといけません。

他の3車種が野暮だとは言いませんけどね。

 

このミニカーはトミカ製の66分の1スケール。昨日発売されたばかりで今朝トイザらスで買ってきました。初回特別仕様のブロンズカラーのも買っちゃおうかと一瞬思いましたが、白の方がカッコ良かったしお金がもったいないのでやめました。

 

 

アバルト 124スパイダー(2代目)

 

アバルトはイタリアのトリノで創業した自動車メーカーで、主にフィアットのクルマをベースにチューンアップしたハイパフォーマンス・カーを販売していました。現在はステランティス・グループ内におけるフィアットの子会社となり、本拠地はボローニャに移っています。

 

初代フィアット124スポルトスパイダーは1967年の発売から約20年の長寿を果たし累計15万台を販売したヒット作で、これをベースにアバルトが手がけたアバルト124ラリーはWRC参戦のベース車として1972年から1975年の間に約1000台が製造されました。

 

2代目アバルト124スパイダーは、マツダ・ロードスター(ND型)をベースにしてフィアットが2016年8月に発売したフィアット124スパイダーを元にチューン・アップして開発され、同年10月に販売を開始しました。

 

フィアット版/アバルト版ともに、2代目124スパイダーの生産は広島のマツダ工場のみとなったため、メイド・イン・ジャパンで信頼性抜群なイタリア車という、極めて魅力的なクルマが出来上がりました。

 

日本ではフィアット版は販売されず、アバルト124スパイダーのみの発売となり、気になる価格はロードスターの上位モデルとほぼ同じというバーゲン・プライスでした。

 

2020年の製造終了まで4年間に累計4万5千台が出荷され、日本国内の販売台数は約2600台。ぼくに経済的余裕が有ったなら間違いなく買っているクルマの一台です。

 

このミニカーはトミカ製の57分の1スケール。付属の幌パーツを差し込んで装着することができます。8年前にアマゾンで317円で購入しました。

 

 

トヨタ・セリカ GT-FOUR (ST205)

 

トミカ・プレミアムから2016年2月20日土曜日に発売されたST205型のセリカGT-FOUR のミニカー。Amazonでは 2015年12月24日から予約注文が開始されていたようです。ぼくは1月21日に注文しましまして、発売日当日のお昼前にクロネコで届きました。

 

メーカー希望小売価格が税込880円のところ、Amazonでの購入額は予約割引があって税込送料込みで577円。現在はもう絶版になっているためか、ヤフオクでは2千円前後が落札相場のようです。

 

このミニカー、実車のホイールデザインを再現しつつも若干インチアップし車高はローダウンして、ぼくらの記憶の中で美化されている「カッコ良いセリカ」を可視化している点が素晴らしいです。

 

フェラーリ 288 GTO

 

フェラーリ288GTO(ニーハチハチ・ジーティーオー)は、1984年のジュネーブショウで発表されました。世界ラリー選手権(WRC)グループBのレギュレーションに沿って開発されたとされる限定車で、1985年までの2年間だけ、200台を目標に生産されました。

 

車名の GTO は Gran Turismo Omologato(グランツーリズモ・ホモロガート)の頭文字です。288 は排気量2.8リッターのV型8気筒エンジン搭載を表し、「288GTO」は 1962年の名車「250GTO」と区別するための便宜上の呼び名で、本来の車名は単に「GTO」です。

 

ベース車の308GTBからホイールベースを110mm延長してミッドエンジンを縦置きへ変更。フェンダーは大きく張り出して車幅は190mmも拡大。そのスリーサイズは 4290×1910×1120mm、ホイールベースは2450mmとなりますが、車重は170kgも軽量な1160kgでした。

 

288GTOは当初の目標を上回る 272台が世に送り出されました。

ベース車の308GTBは1978年から1983年にかけて積極的にラリーへ参戦し幾度も優勝を果たしていましたが、288GTOは登場時期にグループBの廃止が決定され、結局ラリーへの出場はありませんでした。

 

このミニカーはマレーシア産のホットウィールでトミカサイズです。実車では大きな4灯式の角型フォグランプが特徴的ですが、このミニカーでは控えめに再現されています。ミニカーを真上から見るとそのボリューミーなブリスター・フェンダーの迫力に心を奪われます。

 

 

シトロエン・ニュメロ・ヌフ

 

シトロエンは2012年4月に北京モーターショウでDSライン(注)の新しいプラグイン・ハイブリッドのコンセプトカー「Numéro 9」を発表しました。

 

いまや世界一の自動車消費国である中国は、当時まだセダンの人気が衰えておらず、Numéro 9 は中国専用車種として販売されるものとウワサされました。

 

流麗なシューティング・ブレークのボディを持つ Numéro 9 は、DSラインのフラッグシップとなるべく生まれたスタディモデル。

全長4,900mm、全幅1,940mm は歴代シトロエンにおいて最大となり、全高1,270mm は最も低くなります。

 

Numéro(ニュメロ)は「番号」を意味するフランス語で、車名は英語なら「ナンバー・ナイン」、日本語では「9番」ということになります。

 

(注)DSラインは2014年にシトロエンから独立して「DSオートモビルズ」という社名のブランドとなり、ステランティス・グループ内における上級乗用車のラインナップを担っています。

 

今サイドビューを眺めると、シトロエンのフラッグシップとして2021年に発売された「C5 X」によく似ていると思います。

プラグイン・ハイブリッド・モデルではアドバンストコンフォート・アクティブサスペンションと呼ばれる電子制御式油圧ダンパーシステムが搭載される点も、Numéro 9 の仕様と合致していますよね。

 

このミニカーはノレブ製の3インチ・シリーズ品。トミカサイズの64分の1スケールです。数年前、幸運な事にたったの380円でヤフオクで落札しました。

 

シトロエン・ヴィザ・クロノ

 

1974年、経営悪化の一途を辿っていたシトロエンはフランス政府の仲介によってプジョーとグループ関係を築くことになり、辛うじて危機状況から脱しました。

 

両社の社名はこれまでどおりのブランドとして継続し車種ラインナップも両社の独自性は保たれることとなったものの、親会社はPSA(プジョー株式会社)であり、事実上シトロエンはプジョーの傘下となったのです。

 

そうして1976年、合併後の第一弾として発表された2ドアクーペの「LN」は、見た目が3年前に発売された「プジョー104クーペ」のほぼそのまんまであったためシトロエン・ファンはがっかり。

 

しかし、続く第2作目の4ドアセダン「ヴィザ」は、「プジョー104セダン」ベースとしながら、直線的なプジョーとは対照的に丸味を帯びたシトロエンらしいボディが与えられ、細部はメーターの形状までシトロエンのアイデアに溢れる専用デザインに改められて1978年に登場しました。

 

再び「やりたい放題」の本領を発揮し始める我らがシトロエン。

 

その後は手を緩めることなくヴィザの装備を更新し、コンバーチブル・モデルやディーゼル・エンジン車を追加、モデルチェンジも着実に行います。スポーティ・モデル「ヴィザGT」は日本に正規輸入されました。

 

1982年に1000台限定で発売された「ヴィザ・クロノ」はレース用に開発されたコンペティション・モデルで、前後にオーバーフェンダーがビス止めされて、見た目も過激なモデルです。

 

このミニカーはマジョレット製 62分の1スケール(トミカサイズ)。うら面には MADE IN FRANCE の文字が入っていて、ボディにはトリコロールのデカール、ドアには「CHRONO」の文字が印刷されるなど、ディープな演出が堪りません。

 

 

ホンダ・オデッセイ(4代目)

 

1994年発売の初代オデッセイは上級セダンのアコードをベースに設計され、コスト削減のためアコードと同じラインで生産することによる制限から、7人乗りミニバンとしては低めの全高設定(1,645mm)を余儀なくされました。

 

ところが、7人乗りでも全高が低く、セダンにも負けない走りっぷりのミニバンがオデッセイ以外には無かったことから、これが予想外の大ヒット。ホンダ社の業績回復に多大なる貢献をしました。

 

初代の大ヒットを受け、1999年に発売となる2代目の外観はマイナーチェンジレベルの小変更にとどめましたが、続く2003年登場の3代目では、低かった全高を更に低い1,550mmとし、ミニバンの常識ではあり得ない機械式立体駐車場への入庫を可能としました。

 

しかし、他社からも全高低めでより魅力的なミニバンが発売され始めた影響からか、2代目も3代目も、初代の販売台数を超える願いは叶いませんでした。

 

そんな中、2008年に登場したのが4代目です。

 

4代目オデッセイの外観は3代目からのマイナーチェンジレベルにとどめましたが、内装に至ってはより広い視界の確保や足元空間の拡大、車体の軽量化などウイークポイントを徹底的に改善してV字回復を期待しました。

 

ところが既に、ミニバン市場は走りの良さなんかよりも、広くて便利な両側スライド・ドアが必須の時代に変わってしまっていて、低めの全高やヒンジ式の後部ドアはもはや大きな欠点となり、結局、最高に素晴らしい4代目オデッセイは、不運なクルマになっていました。

 

ボクはミニバンの中では、このオデッセイの4代目が 2番目に好きですけどね。ちなみに一番好きなミニバンは初代エスティマです。

 

このミニカーはトミカ製で 65分の1スケール。リヤのハッチが開閉します。パープル・パールのボディカラーがシックで素敵です。

 

トヨタ・セリカ(ZZT231)

 

トヨタ・セリカの歴史は長く、1969年の東京モーターショウでコンセプトモデル EX-1 が華々しく登場し、その特徴が色濃く投影された初代モデル、通称「だるまセリカ」のデビューは 1970年12月でした。

 

それから36年後の2006年4月、7代目となる ZZT231型を最後に、セリカの歴史は一旦終了しました。

 

広くて便利なミニバンや、乗り降りしやすく見晴らしも抜群のSUVタイプにトレンドが移行して、運動性能や見た目の美しさといった、便利じゃないものだけが取り柄だったクーペが丸っきり売れなくなってしまったのが製造終了の主な原因でした。

 

低いクルマが大好きなボクでさえも2007年にはミニバン・タイプのクルマ、ホンダ・エディックスに乗り換えていましたから。

 

セリカのオサラバから約20年経った2024年12月、トヨタ自動車の豊田会長から「2026年にセリカを発売する」という愛に満ちた宣言がなされ、日本中いや、世界中のクルマ好きがドヨメキました。

 

セリカは人気が無くなって途絶えたのではなく、便利なミニバンが売れ過ぎた反作用によって選ばれなくなっただけ。無いものネダリのボクたちは、こぞって今まさにセリカ貯金の真っ最中です! たぶん。

 

このミニカーはメーカー不明の中国製でトミカサイズ。ウラ面には「CHINA」の打刻以外に文字が見当たりません。

ローダウンしたイケメン・ボディには TURBO KING、SPEED JC7、SYS、FLASH といった無意味な文字が並んでチョーカッケェ。

 

 

ダットサン・ブルーバード 510 ワゴン

 

「ダットサン」は日産自動車が1932年から1986年まで車名に使用していたブランドで、アメリカでは安くて高性能だったことで人気を獲得し親しみを込めて「ダッツン」と呼ばれました。

 

そして、クルマ好きの友人はブルーバードのことを「ブル」って呼んでましたっけ。

 

この3代目(510型)ダットサン・ブルーバードは1967年8月から1973年1月まで販売され、競合車はトヨペット・コロナが有名で販売台数を競い合ったライバルです。

 

ブルーバードといえば「SSS(スリーエス:スーパー・スポーツ・セダン(or サルーン)の略)」の印象が強いですね。

 

SSSは先代(410型)で初登場し、ブルーバードの最終型となる10代目(U14型)生産終了の2010年まで途切れることなく設定され続けた、高性能な最上級グレード名です。

 

中でも、8代目(U12型)のときに登場した、4WD+ツインカムターボに4輪操舵まで装備されて、ラリー参戦のベース車になった「SSS ATTESA(アテーサ)」(セダン)は衝撃的でした。

 

このミニカーは 2012年にマレーシアで製造されたホットウィールで、58分の1スケールのトミカサイズ。

ちなみに多分ですけど、ワゴンにはSSSの設定は無かったように思います。