日常のなかでこんなにも、
季節を感じることなく一年が終わる。
4月から始まった月に数日の自宅待機日。
緊急事態宣言、自粛、外出制限。
社会人でいながら、
こんなに時間があることは人生のなかで二度とないのだろう。
辛い、怖いだけで終わりたくない。
このさなかの時間をいったいどう使おう。
家を買おう。
結婚していたときの家の売却から一年少し。
娘の発達障害がわかったことは、
わたしのささやかな人生プランを再び考えるきっかけになった。
わたしに万一のことがあったら。
娘がひとりで生きていかなければならなくなったら。
もう守ってあげることができない。
ならば、せめて娘が過ごせる場所を。
ささやかな財産を。
形として遺したい。
いままでより海寄りの、
歴史ある古い小さな街に、
リノベーションされた小さなマンションを購入しました。
4月の異動、新しい環境。
毎日の残業、倍になった通勤時間。
そこに家探しが加わり、自宅待機日があったとはいえ、
すべてが終わるまでは予想以上に気力も体力も消耗した。
契約から引き渡し、転居まで、
やらなければならないことが波のように押し寄せ、
様々な人が入れ替わり立ち替わり関わり、
心が疲弊し、泣きそうになる日もあった。
一年半足らずで3回住所が変わる。
購入も転居も、肉親知人の誰にも相談しなかった。
離婚から繋がるこれらは、全部全部わたしの選んだこと。
誰かに寄りかかったら、たくさんの迷いが表れてしまいそうだった。
仕事を終え当時住んでいた賃貸マンションのある最寄駅に降り、
ロータリーを出て踏切に差し掛かる。
快速や急行が走っていく光景を見ると、
ときおり不穏な気持ちに襲われた。
コロナ禍に本当にこの選択をして良かったのだろうか。
住宅ローンは通るのだろうか。
娘は新しい環境に馴染めるのだろうか。
すべてが無事に終わるのだろうか。
もうしんどい。
ひとりじゃもうこれ以上頑張れない。
そんな気持ちが渦巻いてしんどかったいつかの夜、
やはり踏切に差し掛かったとき、
ある思いが頭に降りてきた。
結婚生活が辛かった頃、いつもいつも思っていた。
離婚し、仕事を持ち、この家を出て、
娘とふたりで新しく人生を生きなおしたい。
10年以上の時間がかかり、
わたしの乳がん、そして、娘の発達障害という想定外のできごとはあったけれど、
かつて願ったことがいま、
すべて現実になろうとしているじゃないかと。
そう思ったら笑うことができた。
もう少しであのとき願ったことが叶うのだと。

7月、go toで娘と温泉ふたり旅。
2回の引っ越しを頑張ってくれたKっちゃん。
家族になって10年。
Kっちゃんとの10年は、
そのままわたしと乳がんとの10年でもある。
天気の良い日は江ノ島へ行ったり。
こんな日のことを幸せに感じる。
秋、今年2回目の京都へひとり旅。
あちこちで紅葉に感動する。
東山、嵐山嵯峨野、大好きな錦市場。
京都タワーにも上り。
娘に力を貸してください。
お見守りください。
娘は進みたい方向が決まった。
高校もだったけれど、
大学も募集人数が少ない専門的な学部に進み、
技術者を目指したいと。
それは、娘が小さい頃から好きだったことが、
形になるということでもある。
娘をすごいと思うことのひとつに、
発達障害である自分を常に客観的に見ているということがある。
わたしは結婚とかしないだろうから、
独立を視野に入れて、一生働き続けられる、
お給料の高いところへ就職したいのだ、と言う。
親としては切ない気持ちもあるけれど、
16歳でここまで将来を考える娘は、
なんてすごいんだろうと思う親バカなわたし。
娘の発達障害がわかった直後は、絶望しかなかった。
どうして。
どうして。
どうしてこんな人生なのだと。
現実を呪うような気持ちにさえなった。
あれからもうすぐ2年。
文字通りの右往左往とたくさんの学びのなかで、
わたしも変われた。
いまは娘の成長を楽しみに思う。
わたしとは違う思考が非常に興味深く、
おもしろいとさえ思ったりもする。
娘はわたしにないものをたくさん持っている。
ピュアさ、ひたむきな努力、曇りのない優しさ。
わたしにとって、娘に発達障害があるということは、
選ばれたことのようにいまは思いすらする。
マイノリティということをどう捉えるかで、
人生はいくらでも変わる。
生まれ変わっても娘のお母さんになりたい。
ま、相変わらずうちは張り紙だらけだったりもするんだけどさ。
発達障害あるある笑
高台寺から夕暮れを眺めた。
今年はとんでもなくいろんなことがあったけれど、
こうして京都へも来れた。
感慨深い気持ちになる。
人生は夢を叶えるためにあるのだ。
だからまた日常に戻って頑張ろう、とも。
7年前、
2020年のオリンピックが東京に決まったとき、
あなた達はまだこちらにいた。
見ることはできないから、という言葉に、
わたしはあのときなんと言葉を返したのだろう。
必ず、みんなのぶんを見てやろうと、
チケットもたくさん応募した。
でもコロナのせいで来年に延期になっちゃったよ。
紫陽花、向日葵、ガーベラ。
いまも変わらず胸の奥の柔らかい場所に、
ありありとあり続ける。
いつもわたしを支え助けてくれる。
力を貸してくれる。
辛いときにいつも辿り着く。
それでいいんだよという声が聞こえる気がする。
わたしは真っ直ぐに生きられてるかな。
そちらはどうだい?
みんなでやかましそうだなあ笑
わたしはもう少しこちらで頑張るから。
また会えるときまで。
忘れないでいてよ。
でもそれは叶わなかった。
東向きの窓からは夕日は見えない。
でもこんな朝焼けを見られた日は、幸せを感じる。
そしていつかまた、家を持ちたい。
朝日も夕日も大きく眺めることができる家を。
願えば必ず叶うから。
叶えるための道筋を切り拓く生き方をすることができるから。
2020年の年の瀬。
クリスマスから年明けまで、娘とふたりステイホームながらも、
この家でこうして穏やかな時間を過ごせていること。
幸せなこと。
2021年もやりたいことがいくつもある。
一年後、わたしはここに何を書いているのだろう。
人生は有限だから。
わたしはまた歩いていくんだ。
来年は、穏やかな世界でありますように。
This is my life.
2020 大晦日に
haruco