2週間前に検査していたCTと採血の結果を聞く。
前回上昇しタモキシフェンの服用が中止になった原因の肝臓の値。
どうなっているのだろう。
病院の入り口でコロナウイルス感染に関する問診、
検温、手指の消毒。
待合室の椅子も一定の間隔を開けてしか座れないようになっている。
かつて座る場所もないほど人が溢れていた乳腺外科の待合室も人はまばら。
わたしは4月から月の半分は自宅待機となった。
基本給5%カット。
コミッションも減少するのでお給料は目に見えて下がる。
娘も2か月休校と自宅学習が続いている。
先が見えない毎日。
でも自分ができることを粛々といまはするしかない。
穏やかに年が明け、2月上旬。
娘が初めての海外へ。
1週間のホームステイ。
まだその頃はコロナウイルスは日常からは少し遠いところにあって、
娘も無事に出発し、現地でも偏見などを持たれることもなく過ごして帰ってきた。
英語にもほとんど不自由することもなく、
自分でも成長できた手応えを感じられたらしい。
娘は障がい3級と認定された。
自分の娘を障がい者として客観的に見たとき(あくまでわたしの物差しで)、
ホントかいな?と思う。
できないことも多いけれど、
持ち前の鈍感力とKYさは、
わたしには想像もつかない場面で娘に力を出させているようで、
できること、秀でていることもなかなか多い。
娘は娘の時間の進みかたではあるけれど、
人生をなかなか楽しんでいるようにも思う。
娘がいない間、わたしはひとり京都旅。
中国からの団体旅行が制限されて間もない京都は、
驚くほどの静けさでした。
すべて気の向くまま、自分ひとりの贅沢な時間。
あのときは2か月後のいまを想像すら出来なかった。
4月。
異動の辞令。
エリア最小拠点から最大拠点へ。
規模がまったく違うので何もかも勝手が違う。
でも人が多いぶん助け合うことができるので、
内示を知ったときはホッとした。
通勤時間は2倍、同僚の数は4倍。
そして異動の直後の緊急事態宣言とともに半自宅待機が始まったので、
いまだに新しい職場がなにがなんだかよくわからず。
そしていま。
少し先の将来のことをよく考える。
娘の将来のこと。
ひとり親としての責任。
わたしのこれから。
半年ぶりの診察室で伝えられた結果はみな良いものだった。
肝臓の血液検査の結果。
8月→10月→今回の4月、()は基準値
GOT(AST)156→84→23(10ー40)
GPT(ALT)228→143→34(5ー45)
γ-GTP 104→53(0ー35)
γ-GTPは今回は表示なし。
聞いたらGOTとGPTで良いとのこと(よくわからんけれど)
いやあ、下がったー。
食生活も変えたけれど、
やはりタモキシフェンが大きかったんだろうなあ。
CTのたびに脂肪肝と指摘されていたのも、
少し良くなっているようだった。
肝臓、良くなっているんだな。
その証拠に以前より体調もとてもいい。
いま、生活の中の優先順位が大きく変わった。
生活、まさに生きるための活動。
食べて眠り、健やかに生きるための毎日。
先が見えない日々。
でもその行動が誰かの命に繋がっていると思い頑張る。
皆が無事でありますように。
一日も早く終息し、穏やかな日常が戻りますように。