温かいシャワーを、
数日ぶりに身体にあてたとき、
なんて幸せなのだろうとこころから思った。
傷跡が痛まないように細めに出したシャワーの温かさを、
いつまでも味わっていたかった。
わたしは生きているんだ、と。
何からどう書いたらいいのだろう。
子宮筋腫/子宮頸部異形成による、
子宮全摘。
15年前の帝王切開で子宮がどこかに癒着していたせいで、
出血が多かったとのことだけれど、
この手術に関しては、
経過もよく、貧血や炎症の数値も下がりが早く、
いまこうして術後の生活を自宅で送っていても、
出血もなにもなく、傷も痛まず、
たぶん相当に経過は良いのだと思う。
何からどう書いたら良いのだろう。
入院前と入院後で、
まったく病名が変わってしまったような、数日間。
子宮全摘の翌朝。
ようやく、身体から様々な器具が外れ、
最後に尿道カテーテルが外れ、腕の点滴だけになった。
やったやった!
終ったも同然。
今日から食事も摂れる。
お手洗いにも自由に行ける。
あとは良くなるだけ。
終わった、やったやった!
本当に嬉しかった。
入院前、主治医に話していた。
シングルマザーであること。
娘本人が望んだこととはいえ、
入院中は、
14歳の娘が夜は自宅でひとりで過ごしていること。
だからもし、術後の経過が良かったら、
予定よりも早い退院が可能であればお願いしたい、と。
おそらく短縮できても一日だろうけれど、
わかりました、そうできるようにがんばりましょう、と主治医。
このことは、病棟の看護師さんたちもご存知で、
早く帰れるといいねと声を掛けてくださる方も少なくなかった。
術後翌日。
尿道カテーテルが外れて一時間あとくらい。
立ち上がったわたしの背中と腰に、
いままで経験したことがない痛みを感じた。
動くことも出来ず、息も出来ない。
何が起こっている?
呼吸がどんどん早くなるけれど、
ナースコールに手が届かない。
立っていられない。
でも動くことも出来ない。
人の気配を感じて声を上げたところ、
ちょうど担当ナースの方が来てくださる。
一生懸命訴えるも、相手は戸惑うばかり。
ひとりふたりとナースの数が増えても、
わたしの過呼吸を治めることばかりになり、
ここ、ここ!と、持病の腰痛とはまったく違う、と何度訴えても、
最後は腰に湿布を貼られた。
痛みを取ってほしいと、声を絞り出す。
背中と腰をさする手がわずらわしくて仕方がない。
そうではないんだと何度言っても伝わらない。
遠のいたり戻ったりする意識のなかでもう、
時系列が少しわからなくなってしまったいるけれど、
ようやく医師の診察、エコー、
造影剤レントゲンで原因がわかる。
手術中に尿道が圧迫されたことにより、
腎臓から尿管に尿が流れていかない。
尿管が塞がれると、水腎症になることがあり、
最悪の場合は死に至る。
病院が原因に思い当たったとき、
場の空気が変わったと、あとから姉から聞いた。
20センチほどの尿管ステントを、
尿道から腎臓まで留置する手術が始まるまで約5時間の間。
何度も押し寄せる痛みの波のなかで、
どうしてこんなに痛いのにまだ意識があるのだろう、
ああ、死ぬのかもしれないなあ、と、
遠のく意識のなかで何度か思った。
もう目を開けても、視界がわずかしかない。
身体と意識がもう、
自分自身でコントロールできないところへ行ってしまっている。
許容を超える痛みは、理性などなくしてしまう。
娘のことなんてまったく思い出すこともできなかった。
胃液を吐きながら、もう死なせてくださいと一度だけ思った。
あのときは本当にそう思ってしまったから、
誤解を恐れず書いておく。
今度同じことを思わないように。
術後は信じられないくらい痛みが消え、
手術室から病室までは笑顔も出たくらい。
落ち着いてから子宮全摘の手術同意書を読み返した。
「主な合併症、その頻度」の項目のなかに、
「尿管/0.3%」との記載。
この病院が公表している手術件数にその数字を当てはめると、
0.3%は、3~多くても5人になる。
おそらく、年にひとり、いるかいないか。
原因がわからないと痛み止めも投与されない。
そのわずかなリスクに入ってしまったことは仕方がない。
でもあそこまで思い当たってもらえないものだったんだろうか。
言いたいことがなにもないと言ったら嘘になる。
でもいま大した痛みもなく、
退院できてこうして過ごせていること。
わたしのいいところは、
いまが良ければすぐに忘れちゃうことだ。
ステントが入っている違和感やときどきの腎臓の痛み、
20回以上/日の頻尿、残尿感と、
せっかく入れたステントの助けになるようにと、
とにかく水を摂って押し出す、
尿道を塞がないようにするというミッションで、
わたしの「おまた関係」はいま全力大忙し状態。
なくなった子宮に思いを馳せるなんて皆無(笑)
それでも、昨日より今日。
時間を追うごとに。
痛みがやわらぎ、できることが増えていく。
自分の身体をとても愛おしいと思う。
傷だらけでも、不完全でも。
あの日浴びたシャワーの気持ちよさを、
ずっと覚えていたいと思う。
今日は小さなお姉さんのお誕生日。
おめでとう。