立会いを希望する場合は、
この日時に出頭するように。
そう書かれた通知を持ち、
家庭裁判所へ。
遺言書の検認。
申立人である、
父の遺言執行者の司法書士、
姉、わたし。
テーブルの向かい側に裁判官。
未開封の大判の茶色の封筒を、
字に覚えはありますか、
故人の字だと思いますか、と、
裁判官が封筒をひとりずつに見せた。
封には割印が押され、
裏面には、死後、家庭裁判所で開封すること、
というような文言が父の署名とともに、
書かれていた。
5歳離れた姉には記憶があったようだけれど、
わたしには父がどのような字を書いたか、
全く記憶になく、
「わかりません」と言うしかなかった。
記録の方の手によって、
封筒が開封され、
もう一度先ほどと同じように、
今度は遺言書がまたひとりひとりに見せられた。
ぱっと見ただけでも、
封筒にあった文言といい、
父が準備周到に遺書を書いたのだな、
ということがうかがい知れた。
それは事務的なもの以外なにものでもなく、
父の感情などが表れているものではなかった。
そして、
父の現在のご家族は最後まで姿を見せなかった。
検認作業は10分ほどで、
あっけなく終わった。
本当に開けるだけ。
遺言書の原本は執行人である司法書士に手渡され、
本当にそれで終わりになった。
少しお話をさせていただきたい、
司法書士のAさんのほうから言っていただき、
喫茶店に移動した。
官庁街にふさわしく、広々とした、
隣とのテーブルの距離もゆったりとした、
これからするであろう話には、
うってつけのような喫茶店だった。
わたしはどちらの味方だとか、
そういう立場では一切ありません。
そんな言葉から始まり、
2時間弱の話のなかで、
今後のこと、父のこと、わたしたちの思い。
皆感情を抑え、淡々と話が続いた。
3年前に胃にがんが見つかったこと。
その時点で今回開封された遺書が書かれたこと。
その頃、全く別の件でAさんと父は関わりができたこと。
その後再発し、昨秋再度Aさんも立ち会い、
公正証書の遺言書が作られたこと。
暮れに容態が急変し、亡くなったこと。
Aさんが話してくれた父の闘病の様子は、
わずかな情報だったけれど、
初発から父がどのような経緯をたどったのかを想像すると、
辛い話だった。
2時間弱の間に、
こちらの思いを汲み取ってか、
Aさんがいくつかのことを話してくれた。
わたし達の知ることのなかった30年の父は、
幸せだったようだ。
そういったことを感じ取れるようなエピソードが、
Aさんの口から出るたび、
深く安堵し、そして感謝した。
なににかはよくわからないけれど、
父が幸せでいてくれたことに対する。
感謝。
そして、お子さん達のことは、
お父さんなりに気にかけられていたようです。
そう聞いて、もう涙を堪えられなかった。
もっとお話できることがあったら良かったのですが、
と何度か言ってくださった。
快く引き受けてくださったので、
直接お渡しできなかった、
お供物、お香典をAさんにお願いさせていただいた。
外に出ると、
暖かな、本当にきれいな青空だった。
姉の一言が心に残っている。
お母さんとのこと、後悔しないように。
ただ、一言だけ。
明日何があるかわからない。
どんな理由があるにせよ。
どんな思いがあるにせよ。
父はわたしにとって、この世でたったひとり。
母もわたしにとって、この世でたったひとり。
いままでずっと黙って見守っていてくれた、
姉の一言は重かった。
お父さん。
お墓の場所を聞いたら、会いに行くよ。
思いは、そのとき話すよ。
この日時に出頭するように。
そう書かれた通知を持ち、
家庭裁判所へ。
遺言書の検認。
申立人である、
父の遺言執行者の司法書士、
姉、わたし。
テーブルの向かい側に裁判官。
未開封の大判の茶色の封筒を、
字に覚えはありますか、
故人の字だと思いますか、と、
裁判官が封筒をひとりずつに見せた。
封には割印が押され、
裏面には、死後、家庭裁判所で開封すること、
というような文言が父の署名とともに、
書かれていた。
5歳離れた姉には記憶があったようだけれど、
わたしには父がどのような字を書いたか、
全く記憶になく、
「わかりません」と言うしかなかった。
記録の方の手によって、
封筒が開封され、
もう一度先ほどと同じように、
今度は遺言書がまたひとりひとりに見せられた。
ぱっと見ただけでも、
封筒にあった文言といい、
父が準備周到に遺書を書いたのだな、
ということがうかがい知れた。
それは事務的なもの以外なにものでもなく、
父の感情などが表れているものではなかった。
そして、
父の現在のご家族は最後まで姿を見せなかった。
検認作業は10分ほどで、
あっけなく終わった。
本当に開けるだけ。
遺言書の原本は執行人である司法書士に手渡され、
本当にそれで終わりになった。
少しお話をさせていただきたい、
司法書士のAさんのほうから言っていただき、
喫茶店に移動した。
官庁街にふさわしく、広々とした、
隣とのテーブルの距離もゆったりとした、
これからするであろう話には、
うってつけのような喫茶店だった。
わたしはどちらの味方だとか、
そういう立場では一切ありません。
そんな言葉から始まり、
2時間弱の話のなかで、
今後のこと、父のこと、わたしたちの思い。
皆感情を抑え、淡々と話が続いた。
3年前に胃にがんが見つかったこと。
その時点で今回開封された遺書が書かれたこと。
その頃、全く別の件でAさんと父は関わりができたこと。
その後再発し、昨秋再度Aさんも立ち会い、
公正証書の遺言書が作られたこと。
暮れに容態が急変し、亡くなったこと。
Aさんが話してくれた父の闘病の様子は、
わずかな情報だったけれど、
初発から父がどのような経緯をたどったのかを想像すると、
辛い話だった。
2時間弱の間に、
こちらの思いを汲み取ってか、
Aさんがいくつかのことを話してくれた。
わたし達の知ることのなかった30年の父は、
幸せだったようだ。
そういったことを感じ取れるようなエピソードが、
Aさんの口から出るたび、
深く安堵し、そして感謝した。
なににかはよくわからないけれど、
父が幸せでいてくれたことに対する。
感謝。
そして、お子さん達のことは、
お父さんなりに気にかけられていたようです。
そう聞いて、もう涙を堪えられなかった。
もっとお話できることがあったら良かったのですが、
と何度か言ってくださった。
快く引き受けてくださったので、
直接お渡しできなかった、
お供物、お香典をAさんにお願いさせていただいた。
外に出ると、
暖かな、本当にきれいな青空だった。
姉の一言が心に残っている。
お母さんとのこと、後悔しないように。
ただ、一言だけ。
明日何があるかわからない。
どんな理由があるにせよ。
どんな思いがあるにせよ。
父はわたしにとって、この世でたったひとり。
母もわたしにとって、この世でたったひとり。
いままでずっと黙って見守っていてくれた、
姉の一言は重かった。
お父さん。
お墓の場所を聞いたら、会いに行くよ。
思いは、そのとき話すよ。
