記憶 3.11 | QOL ~Quality of Life~

QOL ~Quality of Life~

日々のいろいろ、仕事、乳がん。
でも、より良い人生のために。
毎日笑って、生きていこう。

あの日のことを、

書いておこうと思う。

2011.3.11


わたしはその日、39歳になった。


4年前のあの日、

14時46分

わたしは出先から、

最寄りの駅に帰ってきたところだった。

娘が帰ってくる時間に間に合わないかもしれない。

だからバス停に並んだところだった。


隣に並んでいた女性が、

わたしを見て、

目を見開いて、口を少し動かした。

どうしたんですか、

そう言おうと思った次の瞬間、

何かもが揺れた。

激しく揺さぶられている街灯、

ビルから次々に飛び出してくる人、

大きく揺れるバスを、

飛び降りてきた運転手さんが、

必死に押さえようとしていた。

激しい横揺れに、

わたしと女性は、

ただ柵につかまり悲鳴を上げるしかできなかった。

何が起こったのだかわからなかった。


娘のことを思った。

1年生の娘はきっといま、

通学路の途中だろう。

この揺れのなか、どうしているのか。

こうしてはいられない。

揺れに足元を取られながら、

タクシー乗り場に移動し、

行ってもらえますか?!と叫ぶようにして乗った。


震度7だって。

東北だって。

運転手さんも興奮気味だった。

途中何度も、

ハンドルを取られると声を上げていた。

家のそばでおろしてもらい、

そこから学校まで走った。

どうか娘と行き違わないように。

走りながら思った。


娘は学校のグラウンドにいた。

まだ下校していなかった子どもたちが、

校庭の真ん中に集められていた。

見つけたとき、ホッとして涙が出た。

先生たちも冷静ではなく、

とにかく待ってください、と、

なかなか娘を連れて帰ることができなかった。

その間、何度も何度も、

グラウンドが波打つのを見た、

生まれて初めて、

この目で地面が波打つのを見た。


責任を持って連れて帰りますからと、

近所の子を何人か一緒に連れて帰った。

ひとりの女の子はただはらはらと泣き、

全くしゃべることができなかった。


帰り道、友人のことを思い出した。

昼間、一緒にランチしていた友人。

無事に帰れただろうか。

そのとき、もう電話回線が普通じゃなかった。

けれど気付かず大丈夫?と、メールを送った。

そのメールは翌日届いたとあとから聞いた。


マンションのドアを開けるのが怖かった。

幸い大きな被害はなかった。


そしてテレビをつけて声を失った。

映っている光景が信じられなかった。

当時の気持ちはいまも言葉にならない。




その4ヶ月後、

乳がんの告知を受けた。

2011年は、

生と死を、

明日がくるのは当たり前ではないということを、

考え続けた年になった。

そして、3月11日は、

生きていることを感謝する日になった。



B君、お誕生日おめでとう。

B君のこの1年が、

元気で楽しいものになりますように。




明日がくるのは当たり前のことではない。

でもどうか、

全ての人の明日が良いものでありますように。

そう願わずにいられません。