夏休みのある日。
娘と映画。
まだこんなに早い時間だというのに、
公開直後だからか、
もう人でいっぱい。
ドラえもん。
小学生の頃、
いまから、30年以上も前。
夢中で読んだ。
漫画は歓迎されなかったけれど、
ドラえもんだけは唯一買ってもらえた。
何十冊もあったドラえもん。
ずっと実家で保管されていたそれを、
甥や姪も夢中で読んでいたな。
何年たっても、
そうして同じように夢中になって読んでいる姿を見て、
感動したり、不思議に思ったり。
暗記パンがあったらわたしも100点なのに、とか、
タケコプターで空飛んでみたい、とか、
ドラえもんを一日貸してほしい、とか、
道具を3つくれるって言ったら、
なににしようって、
真剣に考えたりとか。
21世紀、という響きは、
本当に夢のようだった。
なんでも叶う時代がくるんだ、みたいな。
でも、実際はドラえもんなんていなかったんだけど。
けれど、見ていて思った。
ドラえもんはいなかったけれど、
姿や形を変えて、
わたしの回りには、
いろんなドラえもんがいてくれたんだなぁ、と。
人の優しさだったり、
言葉だったり。
助けてくれた手の温かさだったり。
あともうひとつ思ったこと。
大人になるにつれて、
現実にはドラえもんなんて、
便利な道具なんてないんだと、
夢を叶えるには努力しかないんだと気付いて。
わたしはこれまでに、
血の滲むような努力をしたことがあったのかな、と。
本当に心から、
努力したことがあったのかな、と。
わたしには病気後、
ここ1年ほどで夢ができて、
時間とともにそれは、
ますますはっきりと形を思い描くことができるくらい、
具体的になっていって。
でもどう考えても、
棚からぼた餅は落ちてこないし、
誰かがわたしの夢を叶えてくれることもありえない。
努力するしかないんだと、
こつこつと。
自分で。
しずかちゃんのお父さんの言葉が、
胸に残った。
のびたくんは、人のしあわせを願い、
人の不幸を悲しむことができる人だ。
それがいちばん人間にとってだいじなことなんだからね。
そして、のび太くんを信じなさい、と。
ものすごくシンプルだけれど、
それがどんなに素晴らしく尊いことか、
この年になったからこそわかる気がする。
この言葉を、
娘にも覚えていてほしい。
ピザ食べたーいのリクエストで、
サイゼリア。
冷製パンプキンスープ美味し。
ショッピングモールをあちこちぶらぶらして、
おやつは、
京はやしやで。
抹茶アイスひっくり返ってるのが、
やや残念だけれど、
美味しゅうございました。