少し前のこと。
ある女優さんがテレビで、
2択の質問に答えていた。
どこにでも飛んでいける力。
どんな病気でも治る薬。
どちらが欲しいですか、と。
ええ?そんなの選ぶまでもないでしょ、
薬に決まってるじゃない、と、
少々びっくりしていたら、
画面のなかの女優さんは、
即答で、
どこにでも飛んでいける方を選んでいた。
病気はかからないようにすればいいでしょ、
予防すればいいんだもの、
というようなことを言っていて、
今度こそ顎が外れるほど驚いてしまった。
でもその後、
キラキラした笑顔で話し続けるその人を見ていて、
ああ、きっとこの人自身も周囲も、
病気に縁がないんだな、
嫌味とかでもなんでもなく、
それって、
本当に幸せなことなのだろうな、と、
心から思ったよ。
でもその日から、
なんとなくモヤモヤした思いが、
ずっと残ってしまった。
じゃあ、わたしはどうして、
癌になんてなったんだろう。
避けられたとしたら、
人生のどこでどういう風にすれば、
良かったんだろう。
告知後、かなり長い期間、
同じようなことを考え続けた。
何故、わたしは選ばれたんだろう、と。
何が悪かったんだろう、と、
何の罰なんだ、とも。
考え続けて考え続けて、
毎晩寝る頃には、
頭のなかがくたくただった。
たとえ、自分を責めることでもいいから、
気持ちの持って行き場を探していたのかもしれない。
そんなモヤモヤに加えて、
ああ、きっと周囲には、
きっと偏見もあるのだろうなと、
ちょっと落ち込んだ。
不健康だったんだろうな、とか、
おかしな生活習慣でも、
あったんじゃないかとか、
そういうことを思う人もいるのだろうな、と。
そんな時に、
職場の休憩時間に、
ヨーグルトを食べていたら、
「乳製品とか摂って大丈夫なの?良くないんでしょ?」
と同僚に言われ、
「え~、好きなもの食べちゃってますよ~」
と、笑って言えたけれど、
あー、面と向かって言わないだけで、
みんないろいろ思ってるのかな、なんて、
一時期、
ちょっとネガティブ思考になった。
告知後、
あれだけ考え続けたけれど、
いま思うことは、
自分の何が悪かったから、
病気になった、ということではない、ということ。
わたしはけして、
過去を振り返ってみても、
心身ともに健康的でしたと、
胸を張って言えないし、
いまでも、
癌になった原因は、
これとこれとこれだよなぁ、
なんて、思うこともある。
思い当たることは、
これからの人生のために、
良くなる努力をしていくべきだけれど、
でも、けして、
病気になった人が悪かったから、
とは思わない。
そして、病気は不運だったけれど、
いま幸せか不幸か、ということは、
周囲がではなく、
いつも自分が決めることだ。
言葉にするのは難しい。
でも、胸のなかに澱んでいるモヤモヤがイヤで書いた。