自分の記録のために、
今日は書く。
告知を受けてから、
1年5ヶ月になろうとしている。
たくさんの思いを抱え、
三大治療を終えて、
仕事に戻り、
髪も伸び、
周りから見たら、
以前となんら変わりない、
元気なわたし、なのだろう。
月日とともに、
薄れていく記憶もあるなかで、
いまだ強烈に、
わたしのなかに居続ける思いもある。
わたしは癌だったのだ。
そして、この先への思い。
再発、転移への思い。
身体は回復していくのに、
この思いだけが、
まるで取り残されたように、
自分のなかに居続け、
周囲との温度差が深まり、
いまだに、時々孤独な気持ちになる。
この先もしかしたら、
の、扉の向こうは、
何度考えても、
真っ暗闇だった。
いろんなことを想像した。
自分の精神がどこまでもつのか。
わたしはなにを望むのか。
考えれば考えるほど、
なんで、癌なんかになるんだよ!
怒りと恐怖がないまぜになったような、
おかしな感情が押し寄せてきた。
もう元気なんですよ、
おかげさまで!
というわたし。
立ち上がれないくらい、
落ちこんで泣くわたし。
紙一重。
もう、疲れた。
周囲との温度差も、
元気じゃないときに、
元気でいるのも、
疲れた。
疲れた、が重なって、
苦しい、になってきた頃。
1冊の本に出会った。
「置かれた場所で咲きなさい」
(著者 渡辺和子)
bambi*さんが紹介されていた。
タイトルに惹きつけられた。
この本は、わたしに必要な本だ、と。
その通りだった。
置かれた場所、
わたしは、それは、運命だと思った。
咲きなさい、
それは、生き方だと解釈した。
運命には抗えない。
けれど、生き方は、
自分の心のなかにある。
癌になっても。
わたしがわたしであることは、
生ある限り、
何にも変えられないことなのだ。
少しずつ、いろんなことが整理されていった。
そして、
ドアの向こうは、真っ暗闇ではなくなった。
生ある限り、暗闇ではない。
はっきりわかった。
もし、この先、
そのドアの向こうへ進むことになった時、
その先には、
わたしの進む道、
わたしの生き方があるとわかった。
これから先、
また考えは変わるかもしれない。
また、実際、そうなったとき、
全く異なる道を選ぶのかもしれない。
そして、
全ての人に、
賛同してもらえるとは思えない考えなので、
その詳細は書かないけれど、
わたしの生き方、
道筋が見えたいま、
本当に心のなかが楽になったんだ。
清々しいとさえ、
思うくらいに。
大切なのは、いま。
いま、生きているから。
いまが良ければ、
きっと、この瞬間からつながる未来も、
明るいものだと思える。
言葉にするのは、
本当に難しかったけれど、
成長の証として、書き留めたかった。
きっとこれからも、
さまさまな事柄から、
多くのことを吸収し、
「わたしの生き方」は、
生きている限り、
無限の修正をしていくのだろう。
いまよりも明日、
明日よりも、その先、と、
わたしの人生が、
もっともっと、いいものになるように。

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