あなたがぼんやり過ごした今日は、
誰かが、一生懸命生きたかった一日かもしれない。
震災後、どこかで目にした、この文章が、ずっと心にある。
ここ数日、PCの前に座ることができなかった。
時々、いまだに、しゃがみこんで泣いてしまいそうなときがある。
「わたしは癌なんだ」、と、改めて思ったとき。
何故、癌になんてなったのだろう。
どうして、わたしが選ばれたのだろう。
考えても仕方のないことを、
そしてもう、何百回思ったかわからないことを、改めて思ったとき。
普段は、無意識の奥のほうに押しやっているこの思いが、
何かのきっかけでわたしを支配し、そしていまだに泣いてしまう。
懸命に立ち向かい、
胸を、肌を、髪を、仕事を、生活を、
もう全てを引き換えにしたと思っても、完治を約束されないって、なんだろう?
それでも。
生かされている。
そう思うから、また歩こうと思う。
たくさんの人からのバトンが託されているかのようだ。
誰かが一生懸命生きたかった今日を、わたしは生きてる。
片野あかりさん。
あなたのことを忘れません。
たくさんのことを、ありがとう。
今日だけ、コメント欄は閉じさせてください。

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