私の父は先日、療養病床と呼ばれる病院の病棟で亡くなりました。
ここ数年、知り合いの会社でアルバイトをしていた私が激務になり、体調管理が難しくなったので退職して数ヶ月。
家でのんびりし始めるのを待っていたように父は倒れて、父の最初で最後の入院生活が始まりました。
その日は大安で、買い換えた車の納車日でした。
幼馴染の弟から、朝一で納車された車の説明をざっと受けた後にマニュアルを渡され「読んでおいて」と言われました。
(私が何を買ってもこういうものをちゃんと読むのを彼は良く知っていました。)
夫に勧められて少額ではじめたFXのチャートとにらめっこした後、今日は今からシャワーを浴びて、車の中でマニュアルを読んだらスーパーかコンビニでも行こうかな・・・と思っていたところに母から電話がありました。
かくして、私はマニュアルも読まず、シャワーも浴びず、軽い気持ちでパジャマもどきの部屋着にロングのフリースコートを羽織って裸足にクロックスをひっかけ、イマイチ操作がわからない車をおっかなびっくりで実家に向けて発進したのです。
父は小脳からの脳内出血を起こし、入院中に心臓の不整脈が原因で起こる脳梗塞を起こしました。
認知症と高次脳機能障害、視神経に影響が出て目がほとんど見えなくなり、左半身の軽い麻痺が後遺症として残りました。
ただ、父には「自分は脳内出血と脳梗塞の後遺症で脳に障害を負った」という自覚が恐ろしくはっきりありました。
ですから、「言い張る」「聞き分けがない」という事は私たち家族に対してはほとんどありませんでした。
私や継母に対しては「自分の言っていることが正しいか確認する」という作業をしていました。
俺様だったなんて信じられないほど、状況を素直に受け入れていました。
(とはいえ、看護師や介護士の方々には随分駄々を捏ねたようです。)
そして、自分をあしらわずに真面目に受け答えしてくれる相手に対しては、確認作業を何度も繰り返していました。
言語について、少し厄介な障害がありました。
入院して数日後、父は「(まぶしいから)ライトを消して」と言いたかったのに「セルフサービスをやめて」と発音していました。
病院は私に障害についてはあまり詳しい説明をしてくれませんでした。
とはいえ、こりゃ明らかにおかしい…。
「なあに?どういうこと?」
とできるだけ柔らかにたずねると「早くセルフサービスをやめて!」
とイライラしたように声を荒げました。
ベッドサイドで読んでいた本を閉じて、屈んで父に目線を合わせて
「ねえ、父は今『セルフサービス』って言ったけど、なんのこと?」
そういうと父は「え?」という表情になりました。
「セルフサービス」と口からでているのに、父本人はちゃんと「ライト」と言ってるつもりだったのです。
「そんな事言ってない「セルフサービス」だよ!」
参ったな・・・正直私は一瞬そんな風に思いましたが、時計を見ると面会終了時間まで3時間もありました。
その日は急いで帰宅しなくてはいけない理由もなく、気づいたときに何かした方が良いかもという思いで今日は徹底して付き合おうと腹をくくりました。
「父、父は今頑張れる?言いたいことがちゃんと伝わるまで喋らない?私は頑張れるよ?」
(その時、父は4人部屋に居て「お父さん」と呼ぶと一斉に4人が返事をしてしまうので、父を父と呼んでいて、父も自然と私に対する一人称が父になっていました。)
そういうと父はゆっくり起き上がって、同じ事をもう一度言いました。
「セルフサービスをやめて」
私は父の行ったことを復唱すると父は「父はそんなこと言ってないよ」とショックを受けていました。
それから小一時間、セルフサービス探しを始めました。
ライトに手を置いた私に父は少し興奮気味で頷きました。
「これはライト、明かりだよ」
「ああそうだ、あかり!あかりだ。」
父は状況が肌でわかってる、だからこそ父の言うことはあしらったり、聞き漏らしてはいけない事の様にあの頃の私には思えました。
父も「もういいよ」という風に根負けすることなく、伝わるまで何度も話していました。
「背中が痒い」が上手く伝わらなくて、伝わったときにはもう背中は痒くなかったり、そんな事が沢山ありました。
同室のかたがたはさぞかしウンザリしたことだろうと今は思います。
ここ数年、知り合いの会社でアルバイトをしていた私が激務になり、体調管理が難しくなったので退職して数ヶ月。
家でのんびりし始めるのを待っていたように父は倒れて、父の最初で最後の入院生活が始まりました。
その日は大安で、買い換えた車の納車日でした。
幼馴染の弟から、朝一で納車された車の説明をざっと受けた後にマニュアルを渡され「読んでおいて」と言われました。
(私が何を買ってもこういうものをちゃんと読むのを彼は良く知っていました。)
夫に勧められて少額ではじめたFXのチャートとにらめっこした後、今日は今からシャワーを浴びて、車の中でマニュアルを読んだらスーパーかコンビニでも行こうかな・・・と思っていたところに母から電話がありました。
かくして、私はマニュアルも読まず、シャワーも浴びず、軽い気持ちでパジャマもどきの部屋着にロングのフリースコートを羽織って裸足にクロックスをひっかけ、イマイチ操作がわからない車をおっかなびっくりで実家に向けて発進したのです。
父は小脳からの脳内出血を起こし、入院中に心臓の不整脈が原因で起こる脳梗塞を起こしました。
認知症と高次脳機能障害、視神経に影響が出て目がほとんど見えなくなり、左半身の軽い麻痺が後遺症として残りました。
ただ、父には「自分は脳内出血と脳梗塞の後遺症で脳に障害を負った」という自覚が恐ろしくはっきりありました。
ですから、「言い張る」「聞き分けがない」という事は私たち家族に対してはほとんどありませんでした。
私や継母に対しては「自分の言っていることが正しいか確認する」という作業をしていました。
俺様だったなんて信じられないほど、状況を素直に受け入れていました。
(とはいえ、看護師や介護士の方々には随分駄々を捏ねたようです。)
そして、自分をあしらわずに真面目に受け答えしてくれる相手に対しては、確認作業を何度も繰り返していました。
言語について、少し厄介な障害がありました。
入院して数日後、父は「(まぶしいから)ライトを消して」と言いたかったのに「セルフサービスをやめて」と発音していました。
病院は私に障害についてはあまり詳しい説明をしてくれませんでした。
とはいえ、こりゃ明らかにおかしい…。
「なあに?どういうこと?」
とできるだけ柔らかにたずねると「早くセルフサービスをやめて!」
とイライラしたように声を荒げました。
ベッドサイドで読んでいた本を閉じて、屈んで父に目線を合わせて
「ねえ、父は今『セルフサービス』って言ったけど、なんのこと?」
そういうと父は「え?」という表情になりました。
「セルフサービス」と口からでているのに、父本人はちゃんと「ライト」と言ってるつもりだったのです。
「そんな事言ってない「セルフサービス」だよ!」
参ったな・・・正直私は一瞬そんな風に思いましたが、時計を見ると面会終了時間まで3時間もありました。
その日は急いで帰宅しなくてはいけない理由もなく、気づいたときに何かした方が良いかもという思いで今日は徹底して付き合おうと腹をくくりました。
「父、父は今頑張れる?言いたいことがちゃんと伝わるまで喋らない?私は頑張れるよ?」
(その時、父は4人部屋に居て「お父さん」と呼ぶと一斉に4人が返事をしてしまうので、父を父と呼んでいて、父も自然と私に対する一人称が父になっていました。)
そういうと父はゆっくり起き上がって、同じ事をもう一度言いました。
「セルフサービスをやめて」
私は父の行ったことを復唱すると父は「父はそんなこと言ってないよ」とショックを受けていました。
それから小一時間、セルフサービス探しを始めました。
ライトに手を置いた私に父は少し興奮気味で頷きました。
「これはライト、明かりだよ」
「ああそうだ、あかり!あかりだ。」
父は状況が肌でわかってる、だからこそ父の言うことはあしらったり、聞き漏らしてはいけない事の様にあの頃の私には思えました。
父も「もういいよ」という風に根負けすることなく、伝わるまで何度も話していました。
「背中が痒い」が上手く伝わらなくて、伝わったときにはもう背中は痒くなかったり、そんな事が沢山ありました。
同室のかたがたはさぞかしウンザリしたことだろうと今は思います。