木村古墳群
雪野山と玉緒山との間に挟まれた平野部の南側、川合町と木村町に位置している
久保田山古墳、天乞山古墳、ケンサイ塚古墳、石塚古墳、入刀塚古墳などの5基以上の古墳 によって構成されている
名神高速道路に伴う工事やほ場整備事業などで多くの古墳が失われたが、
久保田山古墳と天乞山古墳の2つの古墳が復原され、”悠久の丘蒲生あかね古墳公園”として整備された
”顔はめ”は、額田王と大海人皇子でしょうか?
むらさきの にほへる妹を 憎くあらば
東近江市には、ふたりの相聞歌で有名な”蒲生野”の比定地があります。
”蒲生野”・”あかね”、それから雪野山の裾野には”妹背の里”、東側には”近江鉄道蒲生線、北には”船岡山”と、歌碑やらレリーフやら銅像やら、
東近江市の”推し”は額田王と大海人皇子のようです。
まずは久保田山古墳。
久保田山古墳
直径57m・高さ約6mの円墳
2段築成
葺石・埴輪・周濠を備える
墳丘北側に幅13.4m・長さ8.2m、南側に幅15.4m・長さ12.5mの造り出しが付く
内部構造は不明だが、石室材とみられる大型の石材が出土している
5世紀後半
北側の造り出し
”石室材とみられる大型の石”とは、これかしら?
階段を上ります。
埴輪は、信楽焼だそうですよ。
北側の造り出し
墳頂から北側の造り出し
墳頂から南側の造り出し
北西には雪野山。山頂にはこの地域を最初に掌握した王の雪野山古墳(4世紀前半)があります。
これに次ぐ時代の人たちが木村古墳群の被葬者だそうです。
2基の古墳をのぞいて、今は田んぼになっちゃってますね。
そして雪野山山腹に造られた八幡社古墳群へと移っていくと考えられるそうです。
次は、あそこに見えている天乞山古墳へ。