香春神社から北東へ約1.5kmにある鏡山。
鏡山大神社
御祭神
神功皇后
仲哀天皇
三韓出兵の折、神功皇后がこの鏡山で天の神・地の神に鏡を用いて祈り、その鏡を山に捧げた
鏡は石となって現存しているそうです。ちなみに、お参りはしていません。
古代官道”田河道”
左:関ノ山ー米ノ山ー太宰府
右:石鍋越ー七曲峠ー草野津ー豊前国府
草野津(行橋市)から瀬戸内海を経て都に至る最短距離の道で、万葉集などから、鏡山に駅家があったと比定されている
梓弓 引き豊國の鏡山
見ず久ならば恋しけむかも
按作村主益人
<訳>
梓の弓を引いてとよもす豊国の鏡山
見ないで久しくなったら、恋しくなあることだろう
按作村主益人は、奈良時代の下級官吏。これは、豊前国から京に上がる時に詠まれた歌です。
鳥居の脇から細い道を入っていくと、宮内庁指定の河内王陵があります。
勾金陵墓参考地(河内王陵)
河内王は天武天皇皇孫長親王王子
689年、太宰帥として大宰府に赴任した
巡察で香春に来られ、この地で亡くなる
石戸破る手力もがも手弱き
女にしあればすべの知らなく
手持女王
<訳>
岩戸を破る手力が欲しい
か弱い女の私にはあなたにお逢いする術もありません
河内王を豊前国鏡山に葬る時、手持女王が読んだ歌です。他に、
王の親魄合へや豊国の鏡の山を宮と定むる
<訳>
王の静かな御心にかなったからでしょうか。豊国の鏡山を永遠の宮と定められました
豊国の鏡の山の石戸立て隠りにけらし待てど来まさず
<訳>
豊国の鏡の山の岩戸を閉ざして隠ってしまったようです。待っていてもあの方はいらっしゃらない
河内王陵前から
鏡山大神社の一の鳥居が見えます。
河内王陵前から
やっぱり、鏡山大神社にお参りすればよかった💦