出雲国一之宮熊野大社 | 古墳んぽ~古墳と野の草を観察しながら散歩

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出雲国一之宮熊野大社

 

 

『出雲國風土記』に熊野大社、『延喜式神名帳』に熊野坐神社と見え、日本火出初神社とも称され、古来杵築大社(出雲大社)と並びて出雲の國の大社と遇された。


特に出雲大社宮司の襲職は当社から燧臼燧杵の神器を拝戴する事によって初まるのが古来からの慣で今も奉仕されている。

 

 

 

 

 

 

鳥居

 

 

 

 

 

 

狛犬

 

 

 

狛犬

 

 

 

 

 

随神門

 

 

 

 

 

 

 

拝殿


 

 

 

 

 

 

本殿

 

 

        

御祭神
伊邪那伎日真名子加夫呂伎熊野大神櫛御気野命

 

 

「伊邪那伎日真名子」とは国生みを始めて生きとし生けるものを生かし、その主宰の神をもお生みになられましたイザナギノミコト・イザナミノミコトの可愛がられる御子の意です。


「加夫呂伎」とは神聖なる祖なる神様であります。


「熊野大神櫛御気野命」とは、この熊野に坐します尊い神の櫛御気野命という意です。


この御神名は素戔嗚尊の別神名であります。


 

 

 

 

本殿

 


原始は現在の「天狗山」の山頂付近にある巨大な岩(磐座)があり、そこに祭祀され、その地は「元宮ヶ成(げんぐがなり)」と呼ばれています。

 

 

 

 

 

 

稲田神社

御祭神 

櫛名田比売命 

足名椎命

手名椎命

配祀 

御前神

速玉之男命

奇八玉命

合祀 

火知命

建御名方命

大物主神



明治39年政府の神社整理「一村一社制」により熊野村内にあった多数の神社を明治41年に稲田神社と伊邪那美神社に合祀

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

伊邪那美神社


御祭神 

伊邪那美命

配祀

速玉之男命 

事解之男命 

大田神

衢神

埴山姫命 

天児屋根命

合祀

19社
         

 

 

 

 

 

稲荷神社

御祭神

倉稲魂神

 

 

 

 

 

 

荒神社

御祭神 

素戔嗚尊

相殿 

高龗 

闇龗 

闇罔象

       

 明治39年政府の神社整理「一村一社制」により熊野村内にあった多数の荒神、水神、氏神を明治41年に合祀

 

 

 

 

 

御神水

 

 

 

 

 

鑚火殿

    萱葺きの屋根に四方の壁は檜の皮で覆われ、竹でできた縁がめぐらされています。


鑚火祭の舞台となる場所であり、燧杵・燧臼が保管されています。


又、出雲國造の「火継式」に使われます。



他の神社では見ることの出来ない当社特有
の建物であります。
 

 

 

 

 

 

舞殿

 

 

 

 

 


 

 

熊野大社から500m南には、熊野大社上の宮跡があります。

 

 

 

 

 

熊野大社上の宮跡

 

 熊野大社は古代、意宇川の源流である熊野山(現在の天狗山)にありましたが、中世より里に下り近世末まで「上の宮」「下の宮」(現在の熊野大社)の二社祭祀の形態をとりました。
 ここは「上の宮」跡で、伊邪那美いざなみ神社・事解男ことさか神社・速玉はやたま神社・五所ごしょ神社・八所はっしょ神社・久米くめ神社等がありました。背後の山は三笠山と言います。ここのそれぞれの神社の具体的築造年代は不詳でありますが、多くは中世、紀伊国の熊野信仰の全国的広がりの中で造営されたものと言われています。
 明治時代に至り当地の神社は、政府の神社制度の改正を機に熊野大社へ奉遷合祀されました。
 三笠山の頂上付近からは、熊野大社の元宮があった熊野山が拝され、遥拝所が設けられています。
 また登山道途中には・洗眼すると眼病に効き、あるいは産婦がこの水を服すと母乳が満ち足りると言う御神水「妙見水」が巨石から滴り落ちています。

 

(境内案内説明文)