皇宮(こぐや)神社
宮﨑神宮の摂社で、宮﨑神宮から西北500mの小高い丘に鎮座します。
神武天皇が大和に向けて出発する45歳まで、ここにお住まいになっていたそうです。
現在の社殿は伊勢神宮の第60回神宮式年遷宮(昭和48年)後、古殿舎撤下材(外宮外幣殿)を、昭和51年に改築したものです。
御祭神
神日本磐余彦尊
相殿神
吾平津姫命・手研耳命・神渟名川耳命
神武天皇の崩御後、手研耳命(母:吾平津姫命)は
異母弟(母:五十鈴媛命)の神八井耳命・神渟名川耳尊(第2代綏靖天皇)を害そうとしたが、
逆に襲われて討たれたとい言います。
討った方と討たれた方が一緒に祀られるなんて、どうなんでしょうね?百歩譲って本人たちはよいとしても、わが子を討たれた吾平津姫命の心境は如何に?
神武天皇宮居跡(皇宮神社旧社殿跡)
現在の社殿は、昭和48年の伊勢神宮式年遷宮の後、古殿舎撤下材を、昭和51年に改築されたものです。
経壟記」(けいろうき)
旧社殿跡には、江戸時代に建てられたという「経壟記」がありました。
時の代官が、
「ここは神武天皇が住んだという皇居なのに、3000年も経つと荒れ放題になり、土地の人もそのことを知らない。」
と嘆いています。
オロン坂
県道ヲ南ニ距ル五町ノ阪ヲ皇路坂ト称ス
涼の宮跡碑より
神社の西側には、オロン坂があります。狭野尊(神武天皇)がこの道を歩いていたということで、「皇路坂」・「王路坂」といわれるようになったそうです。
また、別の言い伝えも。
この地域には「破魔矢祭伝説」というのがあり、「身なりの貧しい人(実はスサノヲ=牛頭大王)がたどたどしい足取りであるいてきた坂がこの「オロの坂」と伝えられているそうです。