七輿山古墳
利根川水系鏑川とその支流・鮎川に形成された舌状の河岸段丘上に三段築成で造られ、白石古墳群を構成する古墳の1つ
全長150m前方後円墳
前方部幅115m、後円部径85m、高さは前方部・後円部ともに16m
三段築成
6世紀前半
七輿山の名前の由来に、羊太夫の伝説があります。
奈良時代に新設された多胡郡を賜った羊太夫は、八束の小脛という神童の引く天馬に乗って朝廷へ日参していました。
ある日、羊太夫は悪ふざけで昼寝をしている小脛の両脇に一本づつ生えている白羽を抜いてしまいました。
すると、神通力を失い天馬が走らず、朝廷へ日参できなくなりました。
朝廷は羊太夫が謀叛を計っているとして討伐軍を派遣しました。
八束城を追われた羊太夫の一族が落ち合った場所が「落合」という地名になり、羊太夫の女房ら7人がここで自害し、それぞれ輿に乗せ葬ったので「七輿山」と言う名称が伝えられています。
中提帯や外提帯と呼ばれる土手状の堤があって二重の周溝がめぐり、三重目の溝も発見されている。
前方部からのぼって行きました。
内堀と中堤
提帯には葺石、2列の埴輪列
出土遺物は
円筒埴輪、朝顔形埴輪や人物・馬などの形象埴輪類や須恵器・土師器
この辺りがくびれ部。
前方部方向
前方部
中堤の古墳主軸線の前方部方向と前方部南西方向の隅に
方形状の造り出しが付設されていた
形象埴輪が出土しており、祭祀の場だったとみられる
前方部には「コ」の字状にめぐる三重目の溝も発見されている
前方部から北側
七輿の門展示室が見えました。もうそろそろ開館(8時開館)かしら?
前方部からくびれ部
くびれ部から南方向
くびれ部から北方向
後円部
石仏が祀られていました。
この石仏は首がありません。この下方にもたくさんの石仏があるのですが、すべて首がありません。
これは明治の廃仏毀釈のときに首をはねられたからだそうです。
後方部からくびれ部
後方部から北がに下りて、展示室へ向かいました。
北西部に石積みの何かが見えました。
陪墳の美土里村51号墳(円墳)だそうです。