酒船石遺跡 | 古墳んぽ~古墳と野の草を観察しながら散歩

古墳んぽ~古墳と野の草を観察しながら散歩

古墳と野の草を観察しながらお散歩
古事記・万葉集
古代史
薬草ガーデン
アニマルコミュニケーション

 

飛鳥坐神社鳥居前から、万葉文化会館のある丘が見えます。

 

ここから万葉文化会館の近くまで大溝の跡が見つかっています。斉明天皇の「狂心渠」ではないかといわれています。

 

 

 

 

そうそう、一昨年の秋もここに来ました。あの時も雨でした(泣)

 

 

 

 

 

あの時は右へ曲がり飛鳥寺へいきましたが、今回は左手の道を行きました。しばらくすると、酒船石遺跡がある丘陵が見えてきました。

 

 

酒船石遺跡

 

酒船石、亀形石造物・小判形石造物、砂岩石垣・版築など周辺の遺構

 

湧水を利用した天皇祭祀が行われた聖なる場所と考えられる


 

 

 

 

この丘陵では版築による大規模な造成が行われている

平成4年に見つかった石垣は、天理市で採集される砂岩を使用


 

これは『日本書紀』

 

「斉明2(656)年、飛鳥の東にそびえる多武峰のいただきに垣をめぐらし、2本の槻の木のわきに観(たかどの)を建て、両槻宮(ふたつきのみや)と号した」

 

に符合する。



 



 

 

亀形石造物

 


花崗岩の石塊を成形して亀の形を彫ったもので、全長約2.4m、幅2mで顔を南、尻尾を北に向けている。


左右には手足が表現されており、円形の甲羅部分は幅19cmの縁を残して直径1.25m、深さ20cmの水槽状に加工している。

 

 


水は鼻の穴から水槽部分に入り、V字型に彫りこまれた尻尾から南北溝に流す仕組みになっている。


もうひとつは、小判型をしたもので長さ1.65m、幅1mで北側の側面には突起を、南側の上面は高さ15cm、幅90cmの半円形に一段高く削り出している。

 

石の縁を20cm残して長さ93cm、幅60cm、深さ20cmの水槽状に加工。


水槽底より8cm高い位置に径4cmの穴が開けられ、突起を通って水は石造物1の鼻に入る。
 

 

南北溝
調査区の中央に幅50cm、深さ45~50cmの石組の南北溝があり、溝底にはバラスを敷いている。

この溝に砂岩切石を底に敷いた東西溝が東からとりつく。
 

 

 

 

 

 

東側の階段状石垣は東の尾根の西斜面に造られ、石段は格段の幅が約60cm、高さ25cmで8段あり、南北幅6m、高さ約2m。


石敷のテラスは北に向かってわずかに傾斜しながら高くなっており、テラスから北へのびる石段は6段分残っている。




石敷調査区の中央には、西側を限る砂岩石列から東側の階段状石垣までの間12m四方に石が敷かれている。

 

砂岩石列西側の犬走状に残る石敷の間には砂岩片が多く残り本来は砂岩切石を敷いていた。

 

 

石垣

石垣調査区西側の丘陵裾に沿って造られている花崗岩を用いた石垣は、高さ1m。 

石垣とその東の犬走状に残る石敷との間には幅40cm、深さ15cm石組溝が造られている。

 

 

 

 

 

周囲を岩で囲み中央には取水塔と取水口が設けられている。

 

取水口から出た水は小判型・亀形石造物へと流れる構造

 

 

 

 

取水口


明日香村埋蔵文化財展示室に展示されているのは、実物ですよっ!

 

 

 

 

取水塔に使われた砂岩?

 

 

 

これらの遺構は極めて閉鎖的で人工的な空間であり、祭祀を行う空間であったことがうかがえる。
 

 

 

 

 

 

亀形石造物の後ろの丘に上って行くと、途中に石垣がありました。これが平成4年に見つかった石垣ですね。

 

 

 

 

砂岩切石(石上山石)

 

 

 

砂岩切石(石上山石)

 

「赤みがかった」と表現される砂岩ですが、私には黄色っぽく見えました。


 

 



 

酒船石が見えてきました。

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

材は花崗岩

 

現存の長さ(東西)約5.5m、幅(南北)約2.3m、高さ約1m

 

北と南の一部が欠けている

 

 



 

 

 

上面に皿状のいくつかのくぼみとそれを結ぶ溝が刻まれている。


用途は様々な説がある。

 

  • 酒を造る設備
  •  
  • 薬を造る設備
  •  
  • 油を絞る設備
  •  
  • 砂金などの精選の設備
  •  
  • 辰砂(水銀朱)製造設備
  •  
  • 曲水の宴の場所

 

などなど、いずれも決定的ではない。

 

 

 

 

 

 

南の方は少し下がってますね。

 

 

 

 

 

 

江戸時代に高取城の石材として利用しようと、石割の跡が見られる。

 

 

 

 

 

 

 

こちらにも。

 

不思議な石ですよね~。そうそう、   松本清張のゾロアスター教って説もありましたっけ。

 

 

 

 

 

 

亀形石造物の方ではなく、南の階段を降りました。

 

 

 

 

あ、こっちには道案内がありました。

 


この後は飛鳥京跡苑池遺跡です。