100年経つと | 古墳んぽ~古墳と野の草を観察しながら散歩

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小室敷石住居跡はちゃんとあってましたよ(笑) というのも三原田諏訪上遺跡は、グーグル地図にだまされました。

 

<<グーグル地図で示されたのは

 

 

 

 

 

 

 

小室敷石住居跡

 

覆屋がかけられ保存されています。

 

 

 

 

 

 

縄文時代後期初頭の住居跡

 

ほぼ六角形の平面形をもつ本体部分に、南側に細長い出入口部が付いています。

 

床面には平らな石が敷き詰められており

 

本体部分では石敷きの周りに柱穴があり、中央に石組みの炉(ろ)があります。

 

 

 

 

 

本体部分は東西3m、南北3.35m、出入口部は幅0.7m、長さ2.3m

 

保存状態が良いため、縄文時代の文化・集落の研究上重要な資料となっており、今は現地に公開されています。

 

 

 

 

 

昭和42年に地元の少年が発見したそうですよ!

 

 

 

 

 

そして北橘歴史資料館敷地内の「たちばな郷公園」には、小室敷石住居跡をモデルにした竪穴住居があります。

 

 

 

 

 

 

張出しの部分が小室敷石住居より短いですね~。

 

 

そして、こんな竪穴住居がたくさん建っているのが・・・

 

 

 

 

中筋遺跡です。ちゃんと垣も作られているんですよ。

 

 

 

中筋遺跡

 

6世紀初頭の榛名山の噴火によって火山灰が降下し、その後の火砕流に襲われて埋没・焼亡した古墳時代集落遺跡

 

火山灰に続いて火砕流で一瞬にして埋没したため、当時の地表面がそのまま残っていた
 

 

竪穴住居や平地式建物、畠跡、垣根、祭祀跡などが、被災直後の状態を彷彿とさせる状態で発見され、

 

当時の人々の暮らしを解明するための大きな手がかりを与えてくれた。

 

 

 

 

 

 

平地式建物

 

竪穴住居や平地式建物の建築部材は、吹き飛ばされながらもかなりの部材が炭となって残り、

 

各種建物の上屋構造を復元する資料となった

 

 

 

 

 

 

 

平地式建物内部

 

平地式建物は7棟発見され、1棟復元されています。中に入れます。

 

 

 

 

 

 

榛名山は向こうかしら?

 

 

 

 

ツリガネニンジン

 

 

 

 

竪穴住居は4棟見つかり、そのうち3棟が復元されています。

 

 

 

竪穴住居の屋根組は垂木を地面に下ろし、垂木尻には土を土手状に乗せ、屋根の草葺きの表面には土をかぶせていた

 

 

 

 

 

 

 

赤城山・・・かな?

 

 

 

壁にヒメスイバが(笑)

 

 

 

 

 

 

竪穴住居の廃屋は4か所見つかり、1か所はそのままの押されています。窪地になっているのでわかりやすいです。

 

 

 

 

 

 

平地式建物と竪穴住居、両方が建っています。同じ時期に同時に建っていたことから、季節によって使い分けていたのではないかということです。

 

 

 

 

これは次のことから考えられる

  • 煮炊きのためのカマドが竪穴住居・平地式建物両方にある
  • 竪穴住居は雨と夏の湿気に弱い構造
  • 北方民俗(アイヌ等)の民俗事例で、竪穴は冬の家、平地は夏の家としている

 

 

 

 

 

大きな祭祀場跡

 

中央の3つの丸は3つの土器が見つかった場所

 

灰色の部分は、石で囲まれた土器を奉納する場所

 

 

赤い場所のまわりには

 

 イノシシのいけにえを捧げた場所

 

 焚火の跡

 

 埋められた土器群や砕かれた土器

 

 

 

 

他にも屋敷神や、木・畑のまわりに小さな祭祀場と思われるものがいくつか発見されている

 

 

 

 

 

 

 

そしてこのムラには古墳があるのです!

 

 

 

 

 

4世紀後半の古墳と考えられています。ですが、裾野が削られて、民家や畑・道路が作られています。

 

発掘調査からも、6世紀には裾野が削られて、民家や畑・道路が作られていたことがわかっています。

 

100年経つと、古墳もこんな扱いになってしまうんですね~。