鹿島神宮二の鳥居から西の一の鳥居へ向かって1kmほど行くと鎌足神社があります。
御祭神
藤原鎌足
宇賀御魂命
藤原道真
「藤原氏」の始祖といわれる藤原鎌足をお祀りしています。
鎌足の出生地は、『藤氏家伝』では大和国高市郡藤原(奈良県橿原市)、『大鏡』では常陸国鹿島(茨城県鹿嶋市)とされています。
大織冠藤原公古宅址碑
先日、NHKBSプレミアで「大化改新」の再放送がありました。見た方いらっしゃいますか?主演の岡田准一が若いなっと思ったら、2005年の作品でした。
鎌足は元々の名を中臣鎌子(なかとみのかまこ)といい、その後鎌足に改名。そして臨終に際して大織冠とともに藤原姓を賜った。
『藤氏家伝』には「偉雅、風姿特秀」と記されている。
中臣鎌子連、爲人忠正、有匡濟心。
法興寺槻樹之下の蹴鞠の場で出会った中大兄皇子(天智天皇)と鎌足は、
唐から帰った南淵請安の塾で儒教を学び、密かに蘇我入鹿打倒策を練っていた。
そこでは入鹿もともに学んでいた。
NHKBSプレミアで「大化改新」では、僧・旻に学んだことになってましたね。
645年、中大兄皇子らと飛鳥板蓋宮にて入鹿を暗殺、入鹿の父の蘇我蝦夷を自殺に追いこんた。
これが「乙巳の変」。
この功績から内臣(うちつおみ)に任じられた。
内臣は正式な官職ではありません。祭祀を職とする中臣氏の鎌足をつけることはできず、特別に「内臣」という役職を設けて政治の中枢に参加できるようにしたといわれます。
その後、中大兄皇子の側近として大化の改新を推進。
654年(白雉5年)大紫冠(だいしかん)を大織冠を授けられ、「藤原」の姓を賜った。
その翌日に逝去。
これが「藤原氏」の始祖の所以です。
茨城の民話webアーカイブにこのようなお話が載っていました。
~略~
一説によると、鎌足の父は中臣御食子といい、鹿島神宮に仕える神官でした。
御食子は若くして都に学び、妻を伴って帰郷しました。
鹿島の地で鎌足が生まれました。
ちょうど稲刈りの季節でしたので、その稲刈りには欠かせない大切な道具である鎌にあやかり、「鎌子」と名づけられました。
鎌子が、すくすくと成長し、二歳になった時のことです。
鎌子の母の夢の中に白狐があらわれ、「この子は、将来、国のためにりっぱな仕事をする人です。なおざりにすることなく、しっかりと育てなさい。」といい、鎌を授けていったというのです。
目が覚めた母親は、白狐のお告げを信じ、それには、やはり都で学問をさせてあげなければと考えました。
それからしばらくして、御食子は妻子を伴い、鹿島を後にして再び都へ向かったということです。
また、「鎌子」という名は、白狐の授けた鎌からとったともいわれています。
宇賀御魂命が一緒に祀られているのは、キツネ繋がりだったようです。でも、菅原道真はなぜ祀られているのでしょう?
小さな社殿です。祠といった方がいいかもしれません。
御神体は二本の「鎌」で、木の箱に納められ安置されているそうです。
須恵器 杯
鹿島市鍛冶台遺跡から「中臣」「中臣宅成」とある土器が出土。
朱墨で「中臣」と書かれている・・・そうですが、私には見えませんでした💦
土師器 碗(厨台遺跡群)
墨で「中臣宅成(処)」と書かれています・・・これは私にもちゃんと見えました(笑)
境内に咲くネジバナ
常陸国風土記に鹿島郡の建郡申請者として中臣氏の名前がある。
大化の改新後に誕生した鹿島神郡は郡司と神主を中臣氏から任官されている。
私としては、ここ鹿島が鎌足の生誕地としたいですね~。
NHKBSプレミア「大化改新」では、子供のころ鎌足がおじいちゃんと一緒に(鹿島から飛鳥へ)上京する場面がありますしね(笑)