曽我川
今回は3つの川が流れる盆地をまわっています。曽我川・飛鳥川・寺川、橋を渡り、土手を走り、遠くに二上山・三輪山を確認しながら自転車をこぎました。
山の名前がもっとわかるといいんですけどね~。たぶんあれが龍王山、あの後ろの山は葛城山でいいのかなあ、なんてあやふやな知識しかないんですもの。
百済寺
「日本書紀」舒明天皇十一年(639)七月
詔して曰く、今年大宮及大寺を作らむ。
百済川の側を以て宮処と為す。
・・・
(十二月)百済川のそばに九重塔を建つ
伝承によれば、「この寺は聖徳太子建立の熊凝精舎をこの地に移し、百済大寺と名づけた」とある。
後に戦火により焼けたが。皇極天皇が再建。
また天武天皇の時代に、伽藍を高市郡に移し大官大寺と称した。
百済寺は、その百済大寺の跡地にたったと考えられていたが、現在は桜井市の「吉備池廃寺」が百済大寺に当たるとされている。
大織冠(本堂)
高野山真言宗の寺院
本尊・毘沙門天が祀られている。
談山神社の本殿を移築したもの
室町~江戸時代には、妙楽寺(現在の談山神社)の末寺となっていて、七堂伽藍を配した大寺であった。
ここ百済の集落は、3~4km南のの宗我坐宗我都比古神社のある曽我の集落とは、お互いに最近まで婚姻などの交渉を絶っていたそうです。
1300年の確執ですね💦恐るべし、乙巳の変!
梵字池
梵字のバン(大日如来)の形をしている。
823年に弘法大師が百済寺の再興のために掘ったと伝えられる。
三重塔(重要文化財)
高さ23m、本瓦葺の鎌倉時代中期の建立。
相輪は延宝3年(1675年)に作り直したとされる。
塔内には大日如来像を安置。
百済野の 萩の古枝に 春待つと
居りし鴬 鳴きにけむかも
山部赤人
百済野の萩の古い枝で春を待っていると
止まっていた鶯はもう鳴きはじめただろうか
鳥居
鳥居の向こうに三重塔が見えるという不思議な光景・・・
鳥居前の狛犬
春日若宮神社
同じ境内に春日若宮社があります。説明版がありませんし、ぐぐってみても何もわかりませんでした。
拝殿前の狛犬
本殿
たくさんの摂社がありました!?迎田神社なんて初めて見ました。地主神かしらね?
また曽我川に出て、川沿いを北上しました。
あれは二上山!絶対二上山!二上山は覚えました(笑)
もっと山の形を覚えられればもっと面白いんでしょうけどね。誰かレクチャーしてくれないかしら?
彌都波能売神社
気持ちよく自転車をこいでいると、なんと川沿いの道がなくなってしまいました💦
強制的に村の中へと入らされるように進むと、そこで見つけたのが弥都波能売神社。川のそばに水の神さまなんて、似つかわしすぎ(笑)
狛犬
西に曽我川、東に飛鳥川に挟まれた田園穀倉地帯であり、
約1400年前の古墳時代後期の集落跡から竪穴住居跡がみつかり、
古くからこの周辺に人々が住んでいた。
拝殿
祭神
彌都波能売神・菅原道真・菅野神社姫命
本殿
住所は金剛寺。神仏分離で神社だけが残ったのでしょう。
真っすぐに北に向かう道がないので、地図が読めない私は地図アプリの頼ることにしました。
三ノ宮神社
また鳥居を見つけたので、お参りすることに。
祭神 皇子神命
1596年以前に多村の皇子神命神社が大洪水で小字宮森に流れ着き、
それ以来、松本村で祭祀するようになった。
なんという奇遇!午前中に行った皇子神命神社に縁がある神社だったのですね。
本殿
狛犬
神馬とかいてありますが、由来がわかりません。
今度は飛鳥川を北上していきます。
蛇池跡
柿の木堤に沿って上流水が帯状に長く停滞していて
数百メートルに及ぶ池ができたので、
これを蛇池と読んでいた。
但馬公民館はその一部を埋めて建てられた。
近鉄田原本線を越え、西に進路を変えた飛鳥川を渡ると、三宅古墳群が見えてきました。