湊かなえ『境遇』を読んで――運命と解釈、その二重性の中で
湊かなえ『境遇』を読んだ。
物語の中心にいるのは、赤子の時に捨てられたという同じ過去を持つ二人の女性だ。
彼女たちは互いを「親友」や「家族」と呼び合い、深い絆で結ばれていた。
けれどふと、こう思った。
もし彼女たちが同じ「境遇」ではなかったら――果たして親友と呼び合えただろうか?
読み終えた直後の私の答えは「NO」だった。
彼女たちは自分を捨てた親を追い、過去を辿るうちに、残酷な真実と向き合う。
その真実は、これまで信じていた世界を塗り替えるものであり、結果として二人は離れざるを得なかった。
けれど同時に、物語の余韻の中には「またいつか元に戻りうるかもしれない」というかすかな希望も残っていた。
ここから私が感じたのは、「運命」と「解釈」の二重性である。
人は自らの意志で選べない境遇に生まれ、そこから逃れることはできない。
この“与えられた運命”は、人と人との関係に大きな影響を与える。
同じ境遇を共有することで心が通じ合うこともあれば、異なる境遇が隔たりを生むこともある。
それはまるで、人の絆を支える「地盤」のようなものだ。
しかし一方で、人はその運命をどう“解釈するか”によって、関係のあり方を変えることもできる。
過去を受け入れるか、拒むか。
自分と他者の違いを境界として見るか、それとも理解のきっかけとして見るか。
この「解釈」の仕方ひとつで、人間関係は近づいたり、離れたり、時に再び結び直されたりする。
そう考えると、『境遇』が描いているのは、単なる友情の物語ではなく、人が運命の中でどう生き、どう他者と関わるかという普遍的なテーマなのだと思う。
解釈の自由は確かにある。
けれど、土台となる「事実としての境遇」を無視することはできない。
この二重性こそ、人間関係の難しさであり――そして、美しさなのだと感じた。