時代が違えば価値観も違うことを理解しよう | 思考の学校認定講師 新木ちなみのブログ

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思考の学校講認定講師になりました。講師活動をしながらみなさまと一緒に安心安全な世界をつくっていきたいです。

こんばんわ。


週末は、夫と娘は夫の実家(近畿地方)に帰省していて、私は一人自由に過ごさせてもらいました✨

 

明日から、娘は2学期が始まります。

 

夏休み、私、頑張った~~~!!!

 

鏡の中の自分に「よく頑張ったね~。いつも頑張ってくれてありがとうね~。」ってたくさん声かけてあげました✨


 

週末一人で自由に過ごせたので

読みたかった本をじっくり読みました。

今日読んだ本で(思考の学校関連ではありませんが)

親に対する見直しワークがありました。

 

思考の学校の考え方を踏まえながらワークをやっていって

 

幼いころの父と母のエピソードを思い出しました。

      ↓↓↓

お父さんはお給料袋の封も開けず、もらってきたお給料をそのまま母に渡していました。

お母さんは封を開けて、「給料が少ない」といったことをお父さんに言っていました。

幼い私は「なんて失礼なことを言うんだろう。お父さんだって一生懸命働いて、お給料を全部お母さんに渡しているのに、

そんな言い方ひどい!お父さんがかわいそうだ!お父さんをもっと大切にしろ!」って心の中で怒っていました。

 

このエピソードをワークを通して紐解いていくと、

 

母は「お父さんにもっと頑張ってほしい=お父さんはもっと稼げる能力があるはずだ、あなたならできるはずだ」と思っていたのかもしれない、と思えました。

これは母なりの応援の形だった、母なりの愛情表現だった・・・?

 

 

そもそも、母と私は生まれ育った時代が全然違う。

 

母は戦後まもなく生まれ、日本全体がまだ貧しい時代で、

日本人はそんな状態の中でも「一生懸命頑張って働いて豊かになろう」と高度経済成長時代を生き抜いてきました。

 

だからこそ、「努力してとにかく頑張る」のが当然の価値観だったのだと思います。

 

でも幼い私は、「お母さんはお父さんのことを立てていない、馬鹿にしている」と思って勘違いしてしまった。

本当は、お母さんは誰よりもお父さんのことを信じて、もっとできる人だと思っていた。

激励の意味を含めてそんな言い方をしたのかもしれません。

 

 

時代が違うと、その人の「普通」が他の人には「普通ではないこと」になってしまうこともあると思います。

 

私も、Z世代から見たら、実は突拍子もないことを言っている人なのかもしれません・・・💦

 

 

そう思ったら、何だか、親に対していろいろ誤解していたのかもしれないって。

めちゃめちゃ勘違いしていたのかもしれないって。

この勘違い、他にもたくさんあるのかもしれないって。

そう思えてきて・・・

 

それに、親だって一人の人間。

私だって、子育てに四苦八苦しているのだから、私が幼かった時の親だって、私と同じようにいろいろ苦悩もあったはず。

 

でも勝手に親に完璧さを求めていたな~って思いました。

 

思考の見直しって何回やっても新たな気づきがあるなあ・・・

 

 

今日は本当に親に対してのわだかまりがなくなって

親のことを同じ人間として理解したいなって思えた日でした。

 

 

私、本当にめんどくさい子どもだったので笑

でも、こんなめんどくさい子どもを、忍耐強く育ててくれて本当に頭が下がるな~~~って思いました。

 

 

お母さんは、お父さんのことを誰よりも応援していた、愛があった、これがわかって本当によかった!

 

 

 

今日も読んでいただいてありがとうございます。