愛されたかどうかなんてわからない | 仙台駅前にあるカウンセリングルーム まきび

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開設から18年。不安感・対人関係・恋愛・トラウマについて小さなご相談から改善に向けた専門的な分析・心理療法によるカウンセリングまで幅広く承ります。仙台駅前パルコ2から徒歩1分のビル内にある看板のないカウンセリングルームです。Zoom、スカイプ、お電話でも承ります。

本やネットで

 

「親に愛されなかった人は~」という言葉をたまに聞きます。

 

 

でも、

 

親に愛されなかった人というのは、

「愛される」がそもそもどういうことなのか分からないので

当然、「愛されなかった」ということも分からなかったりします。

 

だから、「私は親に愛されなかった」と最初からおっしゃる方は実はあまり多くなくて、

 

むしろ、「親は私を育てるために頑張ってくれました」という感じで肯定的に親のことを教えてくださったりします。

 

 

 

でも、私たちカウンセラーは、そこにちょっとした違和感を感じたりする。

 

「親は育児を頑張ってくれました」

 

「忙しい中出来ることをしてくれました」

 

「私もこんな子供だったから、親は大変だったと思います」

 

親に気を使うクセがあるクライアントさんは、こんな感じでどことなく親をかばうような調子で話すときがあります。

 

少しだけ、親のことを悪く言っちゃいけない、と思っているような雰囲気を漂わせながら。

 

 

 

親に愛されるというのは、「衣食住を確保してくれる」のとはちょっと違うところにあります。

 

そして「怒らない」「暴力を振るわない」、だから愛されていた、というのもちょっと違います。

 

だけど、目立った暴力やネグレクトがない家庭で育ち

親が忙しそうにしていたり、自分のせいで親が困っているのを

目撃していたりすると、

 

「何の問題もなく育ててくれたのに、不満なんて持ってはいけない」

 

と感じてしまって、

本当はちょっと感じていた寂しさとか、家に漂うピリピリした空気への疲弊感を隠してしまったりします。

 

 

たしかに、その方の親は、事情がある中で精一杯子育てをしたのかもしれない。

 

完璧な子育てなんて存在しないし、

親も人間だからいつも心が安定しているわけじゃない。

 

でも、「親が親なりに頑張ったかどうか」と「親が子供を愛していたか(愛されたと感じられたか)」は別のお話。

 

そこに罪悪感を感じる必要はないし

親から愛されなかったと感じたとしても、親がこれまでしてくれたことは変わりません。

 

心の中でまで、親に気をつかう必要はないんです。

 

 

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