私は、他人のために生きる必要はないと思っている派です(笑)
人はみんな自分のために生きていい。
でも、
「自分のために」ってなんだろうか?
何をもって「自分のために生きている」と言えるんだろうか?
そんな疑問も浮かんでくる。
例えば、
「なんで面白くもない人の話を笑って聞いてあげなきゃいけないの?」
と不満に思っている人がいたとします。
意見としては賛否両論だと思いますが、私は特に問題だとは思いません(笑)
つまらない話に笑う義務はどこにもないし、無理に笑うのだって多少は疲れてくるだろうと思います。
「そこまでしてなんで相手に合わせないといけないの?」と思った経験がある人だって、たくさんいますよね。
でも、「つまらない話には笑わない」を実践するときは、
自分が同じ目に合っても平気かどうかというのが要検討事項です。
自分が人の話に笑顔を向けないということは、周囲もまた自分に笑顔を向けてくれなくなる可能性があるからです。
これは、「自分がされて嫌なことは人にしてはいけない」なんてものではなくて、
単純に、人間誰でも「笑ってくれない相手」に笑顔を向け続けるのは難しいからです。
だから、自分が笑顔を見せないということは、相手からも笑顔をもらえなくなる可能性があるということになります。
もし、「人から笑顔を向けられなくても平気!」なのであれば、他者のつまらない話に笑わないことが「自分のため」になるかもしれません。
でも、結果的に人から笑顔を向けられないことで傷ついたり、「私なんかまずいこと言った?」と思ってしまう人なら、それは「自分のために」やっているとは言えませんよね。
結局ほとんどの人の場合、自分のために生きようと思ったら「他人とほどほどうまくやる」のが必要条件だったりします。
他人とほどほどうまくやることで、心地よく生きる。
そして、それでも自分を傷つけてくるような人とは離れていく。
これが、ごく自然な「自分のために生きる」ではないかな~と。
なので、
「つまらない話に笑いたくない」と言いながら、自分がそれをされたら傷ついてしまうという人は、
そこに何かあるよね、ということになります。
心に矛盾を生んでしまった何かが、そこにあるよね、と。
そこを掘り下げていくのがカウンセリングですね。
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