仏教の伝える「煩悩」の一つに、「慢」という項目があります。
この「慢」は、「自分を過大評価すること」とか「うぬぼれる事」みたいな意味なのですが、
実は、この「慢」というカテゴリの中に
「我慢」というおなじみのワードがあるんです。
現代では「我慢」というと「耐え忍ぶ」とか「辛抱する」という意味で使われていますよね。
そこにはなんだか自己犠牲的な美しいニュアンスすら感じますが、
仏教的に言うと、我慢の元々の意味は「自分に執着する」、なんです。
「私」を強く意識していて、「私はすごいぞ」と思ったり自分本位になることを指します。
ということは、我慢ばかりの人生から解放されたら、「私」という捉われからも解放されて自由にのびのびと生きられるのかな、と思ったり。
ちなみに、
「我慢」が良いもの、美しいものとされる環境で育った人は、自分を苦しい目に合わせて我慢することで、周囲に望まれた美しさを体現しようとすることがあるんですよね。
こういう方に、「我慢をしていてえらかったね!」と言いすぎてしまうと、その人は我慢がやめられなくなったりします。
我慢をすることで褒められ癒される=「なんでも我慢することで愛が得られる」と心が学習してしまうからです。
「我慢することで愛されてきた」という自覚がある方は、「我慢は”私はすごい”という自惚れ」と思ってみると効果的かも。
「我慢」に付与された自己犠牲的な美しさを削ぎ落してしまうことで、それをあなたに求めさせてきた心の傷が
「我慢が愛される要素でないなら必要ありません」
と言い出しますよ。
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