「個性」とか「私らしさ」に目を向けすぎると、
何かを持っていないといけない気がしてきます。
「私らしさ」が何かあるはずで、
「私らしさ」をちゃんと生かすことが出来れば
うまくいくんじゃないか、と思ってしまいます。
仕事も、趣味も、人間関係も。
だから占いとか「○○診断」をしたくなる。
自分では分からない「私らしさ」を、教えてくれる気がするから。
「答え」をもらえると、道が拓かれたような気がして、少し安心できるから。
でも、もし「私らしさ」をいくら考えても、誰かに教えてもらっても、
結局なんにも変わらずにまた戻ってきてしまうなら、
モブでもいいじゃない、と私は思ったりします。
誰かのために犠牲になったり、誰かのトラブルに巻き込まれるのはよくない。
でも、個性なんて、別に無くてもいい。
私らしさなんてものがない方が、自由に気ままに生きられる。
個性がない、確固たる私らしさがない、ポリシーがない。
とても素晴らしいじゃないですか。
「私らしさ」に依存した生き方は、「自分の中に価値を見出さないと生きられない」のと似ています。
私らしさなんて、あってもいいけど無くても別にいい。
「ある」と「ない」の間にたいした差はありません。
唯一無二の、オンリーワンな主人公を目指すより、
自分の個性を見つけて存在価値を実感するより、
世のなかの1部として淡々と生きていく幸せの方が、ずっとシンプルで心地いい。
私らしさが見つけられずに根無し草感があるのなら、
それは「私らしさ」とは別のところに鍵があります。
「自分らしく生きている(ように見える)人」にものすごく憧れてしまうなら、
それはあなたの中に「価値が無いといけない」気持ちがあるからです。
私らしさにこだわらない人生って、本当はものすごく自由です。
*このブログは毎日19時に更新されます
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