昨日の続きです。
ある過食(嘔吐なし)のクライアントさんは、カウンセリングに通う中で徐々に状態が改善し、食べる量が減っていきました。
(この方は過食が強く、グルテンフリーなどの食事制限自体が不可能だったので、心理療法と会話を繰り返していました)
私としては目に見えて健康になっていくクライアントさんほど嬉しいものはありません。
しかし、このクライアントさんは、
「先生、以前よりも食べる量も減って、食べなくてもよくなって、体重も減りました。
とても嬉しいのに、たまに過食が恋しくなるんです。」
と訴えます。
各種依存症の治療の過程では、こういうケースは少なくありません。
苦しみの原因が離れてしまうと、一種の喪失感や寂しさが生まれてきます。
もちろん、そうなる理由として「脳の○○という物質が出て~」というような説明をすることも出来ますが、
そもそも依存というのは「何かがつらい」という状態から一瞬でも助かることを目的として始まっていることがほとんどですから、
言い換えれば依存対象というのは「このつらい人生を共に乗り越えてきた戦友」みたいなものなのです。
このように考えれば、前回書いたような「苦しみと仲良くなってしまう」例もなるほど納得がいくものになります。
どんな時にもあなたのそばにいて、誰よりもあなたの苦しみを理解してきた存在。
それが苦しみそのものです。
その存在価値がいかほどか、容易に想像がつく方もいらっしゃるのではないでしょうか。
だから「小麦を抜いたら改善した」などと言うのは、まるでこれまでの苦しみを軽視されような気持ちになってしまうし、
苦しみが実際に無くなってしまったら、なんだか大切な誰かを失ったような喪失感を感じてしまう。
そういうわけで、苦しみから離れるのがなんとなく怖くなってしまうのです。
でも、安心してください。
食事制限や心理療法で状態が改善したとしても、苦しんできた事実は変わらないし、苦しみの価値が変わることもありません。
もちろん、苦しみを手放したら独りぼっちになってしまうこともありません。
持ち前の感受性の高さと、苦しみの分だけ鍛えた共感の力をもって、いまよりも楽な場所に行くことができますよ。
何が言いたかったかというと、「何しても改善しない人はグルテンフリーやってみない?」ということなんですが。(笑)
思ったより長くなってこんな感じに仕上がりましたね。(笑)
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