精神的な死を思うと | 仙台駅前にあるカウンセリングルーム まきび

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開設から18年。不安感・対人関係・恋愛・トラウマについて小さなご相談から改善に向けた専門的な分析・心理療法によるカウンセリングまで幅広く承ります。仙台駅前パルコ2から徒歩1分のビル内にある看板のないカウンセリングルームです。Zoom、スカイプ、お電話でも承ります。

なんだかんだと土日祝日までブログを書き続け、

睡眠時間を削ってまでにゃんこ大戦争に没頭し、

 

秋が来て

冬が来て

春が来て

夏が到来しました。

 

まあ、まだ梅雨ですが。

 

って梅雨遅くないですか?梅雨って6月だったような。

 

ん~、地球がどんどん変わってるんですねえ。

 

死について、たまに書くんですが、

肉体的な死は経験したことがないので

何とも言えませんが、

 

精神的な死というのは、

ある意味、自分の現状を

特に自分が見たくない、受け入れたくないものを

受け入れるということと同義なのかなと思っています。

 

理想の反対、こうあるべき姿の正反対に

精神的な死が待ち構えているのかなと。

 

そして受け入れたくない時に人がする行動を三段階に分けてみたい気になったので、書いてみますね。

 

うまくいかない、おもしろくない現状があり、

それは自分の能力不足であったり、環境的な問題であったり、

今すぐ改善がむずかしいとき、

買い物や旅行をすることで発散したり、お酒を飲んだり、たくさん食べたり、

で現実から目をそらすことがありますよね。

 

これがもう少しレベルが上がって仕事や勉強で行き詰ってしまったり、

自分の能力不足に直面してしまう、

思う通りにいかない時には

お酒を必要以上にたくさん飲む、借金するのも構わず買い物する、

恋人や恋人でないけど、身をこがすような付き合いに身をゆだねる

自傷行為をしてしまう

など、受け入れたくないものが大きいほどに

回避行動も激しさを増しますね。

 

耐えることがどうしてもむずかしいと脳が判断した時に

最後に残るのは妄想です。

別な世界を作ってその中で過ごすことです。

その中にいれば、自分は素晴らしい人間であったり、

周りが自分より劣っていて批判することができたり、

逆に自分はダメな人間だという妄想をして嘆くこともあります。

 

一番最後が不思議だと思いますよね。

自分が素晴らしい人間である世界を想像するのはわかるけど

自分がダメな人間だと想像するのでは余計に苦しいのでは?と。

 

これはですね、ダメな人間だからこそ、誰かが救ってくれる幻想が

ここちいいこともあるんです。

ダメだからこそ、それ以上の苦しみをあじあわなくてすむという幻想。

今が最低だと想像すれば、それ以上はないという心のどこかの安心感。

 

本当にみたくないものを見るより、自分を責めていた方がマシな人もいるんですね。

 

というように人は生き残るためにたくさんの方法を生み出すんですね。

 

そういうたくましさを自我はもっていて、

そのたくましい自我を静かにさせるのに精神的な死というものを

欲する人もいるようです。

 

肉体的な死と精神的な死を混同して行動してしまう場合もあるようですが、

ある意味で精神的な死は肉体的な死を凌駕するように感じられるからなのでしょうね。

 

いつまでも騒ぎ続ける自分の頭の中をおさめたい人は

精神的な死を求めていながら、反対方向に向かってしまう。

 

文化、教育によるものなのか、

もともとそうなのか、

考えてもキリがないので

静かに呼吸に意識を向けて今、何が起こっているのか、

みてみようとおもいます。

 

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