最近、生活の節制をいかにするかを考えています。
いかに自分が食べたいものを必要以上に食べ、
したくないことをそのまま放置してきたことか。
「何をしても自由」という言葉を履き違えると
とんでもないことになるな、
とつくづく思います。
欲望を満たすことは無駄なエネルギーの浪費でしかない場合と、
欲望を満たさない生き方なら何をしても
自由なのではないかと。
つまり目の前に豪勢な食事があっても、
欲望に従わない食べ方をすればOKで、
欲望のとりこになってがむしゃらに食べてしまったら、
×××だと思います。
同じ言葉を使っても、節制を意志力でできる方が
「何をしても自由」というのと
たんなるだらしない人が「何をしても自由」というのでは
意味合いが違いますよね。
後者はただ幼稚なだけだと思います。
で、僕がどちらに入るかというと、まあ聞いてください、
涙ぐましいエピソードを。
家には両親と妹がいて四人家族ですが、
僕以外はあまり精神を成長させることに興味がありません。
そうすると家の冷蔵庫は、欲望の宝庫です。
「よし、節制をしてエネルギーをためないと
さらなる成長は期待できない」
まずは菜食からだ!と思い立ち、冷蔵庫をあけると、
おいおいおい、寿司にケーキに、てんこ盛りじゃ~ん。
しかも母が仕事から帰ってくる。
買い物袋にチョコモナカいっぱい!!
「安かったからまとめて買ってきた」
え~、ありえないんですけど、何で一回に]
10個も買ってくるんですか??
PM.8:00、座禅をはじめる。
まだ我慢できるが、少しずつ冷凍庫への想いが募り始める。
PM.9:00、座禅をやめ、冷凍庫の周りをうろうろしながら、
こんな仕打ちをする母に怒りを感じる(笑)
PM.10:00、冷凍庫を開けたり、閉じたり、そわそわし始める。
PM.10:23、意志力の炎を燃え立たせ、自室へこもる。
PM@@@@、もうだめ。チョコモナカほおばる。
「ああ、うまい」
精神を向上させるにはまず生活の節制である。
「でもうまいのだ」
僕の意志力は100円のチョコモナカにも劣る。
「うまいけど、涙がとまらない」
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