幸福論 | 千葉大学男子ラクロス部

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25Chargersで平社員を務めました、平田暖です。




後輩に伝えたいことは、いつでも伝えられます。だからこの場では、朝練帰りに見かける楽しそうな専門学生を羨む中で獲得した「幸福論」を綴りたいと思います。




結論から書きます。




幸せになるために一番大切なことは、感謝することです。




読む気失せますよねー。僕もです。ただ、ここから先に書くことは、非常に筋が通っていて、大人なあなたには納得感があると思います。よければ少しだけ付き合ってください。




まずあなたは今、何のために生きていますか。




この問いに即答できる人は、実は多くありません。私たちが日々行っている「起きる」「歯を磨く」「学校に行く」といった無数の選択は、どこへ向かっているのでしょうか。極端に抽象化すれば、その答えは「死」です。これは悲観的な話ではなく、限りある人生を俯瞰したときに誰もが行き着く、生きるという真理だと思っています。




そこから少しだけ抽象度を下げると、人間が目指しているものは「幸せになること」ではないでしょうか。すべての人間のすべての選択は幸せになるためのものでしょう。あなたは、いつ幸せを感じますか。




美味しいものを食べている時、どこかへ出かけている時、何かを達成した時。これらは間違いなく幸せな瞬間です。ただ僕は、それらを「相対的な幸福」だと捉えています。相対的な幸福とは、状況や比較によって生まれる幸福です。昨日より今日が良い、周囲より自分が恵まれている、そうした差分の中で感じる幸せとも言えます。




人は環境に適応する生き物です。生活水準や刺激の水準、いわば幸福のベースラインが上がると、同じ出来事では幸せを感じられなくなります。かつて特別だったものは日常になり、日常はやがて退屈になります。すると、幸せを感じるためには、さらに強い刺激や新しい達成が必要になる。この構造そのものが、相対的幸福の不安定さだと思います。




この状態はとても勿体ないし、同時に少し怖いことでもあります。なぜなら、幸福の条件が常に外側に置かれ、自分のコントロール外の要因に依存してしまうからです。環境が変われば幸福は簡単に失われ、満たされているはずなのに満たされない、という感覚が生まれてしまいます。




だからこそ僕が大切だと思うのが、「絶対的な幸せ」です。




それは、何かを得たから幸せになるのではなく、それが“ある”だけで幸せだと思えるものです。天気が晴れていること、誰かが今日も元気でいること、変わらない日常が続いていること。人それぞれ形は違っても、外的要因に左右されず、自分の中で完結する豊かさです。




冒頭に書いた結論に戻ります。




幸せになるために必要なのは、前ばかりを見ることでも、周りと比べることでもありません。今この瞬間に、自分がすでに持っているものを実感し、それに感謝すること。満たされないのは、足りないからではありません。何を持つかではなく、何に気づけるか。それが、僕が辿り着いた答えです。




31期 4年 MF #77 平田暖