セブ島タリサイ市、
ジプニー通りの小さなコンビニ、
ビールが冷えてない事はない、
安心のコンビニ(笑
そこのガードマンと店員が、レジの隅に段ボール箱を2個重ね、
自前の弁当を食べています。
2人はボクとは顔見知り、
ガードマン
「Mangaon nata /一緒に食べましょう 」と、
これは、顔見知りの間の社交辞令的なアイサツ。
ボク「Kaon , Kaon /食べて食べて」、
両手で押すようなジェスチャーで、食事を続けてね、と返答。
店内の狭いカウンターでスツールへ腰かけ、
同行のチャーミングな妻と、サンミゲルビール小瓶をカチン。
ボク「こうゆう時って本当はどう返答したらいいの?」
妻「Salamat /ありがとう、です」
貧しい暮らしの中で、こういった習慣が根付いたのかもしれません。
クリスマスイブに東京都北区赤羽の教会へ行ったのが、
教会へ入った初めてで、その後はボホール島の町の500人以上入れる教会、
共にただ入って中を眺めただけです。
13:30
タリサイ市の一番大きな教会、
大聖堂
見上げるアーチ型天井、時折ナイフのような翼で空気を乱さず旋回するツバメ。
三列に並び長いホールの後ろまで続く木のベンチ、
ホールの入り口ゲートが遠く、眩しく見え、
柱毎に据付けられた、大きな扇風機が首を振りながら、風を押し出します。
正面、大理石のステップを二段上がった広い祭壇、
キャスター付きスチール架台の上には白い棺。
神父がマイクの前で話し、スピーカーからの声が館内に反響します。
69歳で亡くなった、妻の伯父の名前が告げられ、
最前列の家族がハンカチ、あるいは手の甲をまぶたへあてて、
祭壇の棺を見ては、また少し目を伏せます。
神父は、話し続けてスピーカーからの声が反響します。
妻とボクは後ろの方へ腰かけ、見えるのは参列者の背中と頭、
ほとんどの人が普段は穴の開いたTシャツ、
すりへったビーチサンダルですが、今日は違います。
教会での葬儀最後に、お別れの言葉をかけに棺の周りへ親せきが集まり、
ガラスの奥の故人へ、話しかけます。
伯父に呼びかけ泣く人、上を向き溢れる涙を堪える人。
そして最後に、伯母が自身の透明なロザリオを右手に、
ガラスにそっとおき静かに話しかけます。
皺だらで手荒れしてはいるものの、爪は椎の実のように形の整った爪。
脳梗塞で右半身付随になった夫を、
10年間に渡り面倒を見てきた手。
落ちくぼんだ目からほほ骨を伝って、涙がロザリオを濡らし、
伯母は静かに話し続けています。
誰にも聞こえないほど小さな声で。
もしかしたら、
「今日は、奮発してお父さんの好きなイカですよ」
「Mangaon nata/ 一緒に食べましょうね」