炊飯器の釜に1合分の生米を入れて、蛇口をひねって水を注ぐ。
俺の部屋のキッチンの小窓からは、少し傾いた太陽の光が降り注いでいる。
私のキッチンの太陽は、あなたの窓よりも少し傾いていて、多分赤みを帯びた斜陽。
俺のキッチンの窓越しには、木々が立ち並ぶ緑豊かな風景。
私のキッチンの窓越しには、ビルが立ち並ぶ都会の風景。
水を止める。水の揺らぎに光が乱反射。
少しだけ目を細めてしまうほど、まぶしい。
ひんやりとした水の底に沈む米を研ぐ。
俺の時計は一五時。
私の時計は一七時。
少しのずれがある。
ほんの二時間。されど。とは言えど。
私と俺の間にある、映画一本分のタイムラグ。
違う星と交信をとっているかのような、そんな気分で米を研ぐ。
私と俺は、違う時間に同じことをしている。
米をさらいながらくるくる時計回りに、釜の中を俺の手が回る。
一度映画館で見た映写機のフィルムみたいに、くるくると、きらきらしながら。
私の手は、くるくる反時計回り。時々ぎゅっと、止まる。
山手線みたいに、くるくると。時々時間調整、人身事故。
簡単に何周かしたところで、俺の手は止まる。
ちょっと固めくらいが丁度良い。柔らかすぎると、ふやけるから。
入念に、何周も、私の手は止まらない。
少し柔らかめの方が良い。私の手の力も、顎の力も、そんなに強くないから。
俺と私は米が見えないくらいに白く濁った水を、コップに溜める。
その水は、そのままベランダの植物に。
もう少し時間があるから、私はもう一周。
そこまで時間は無いから、俺は水を入れて、スイッチを先に押す。
私と俺には、少しのずれがある。
日曜の夕飯の食べる時間にも、その準備にも。
一致していることは、これから二人で散歩をすることだけ。
東京を山手線沿いにくるくる回る、散歩。
同じことをしていても、回る場所は正反対。
私が高田馬場なら、俺は有楽町。
電話で交信しながら、私と俺は東京を歩く。
日曜の夕飯を食べる前に、散歩をする。
散歩の後の夕飯は、ちょっとだけ充実感があるから。
日曜の夕飯を食べた後に、散歩をする。
摂った分だけ動かないと、気が済まないから。
同じと違うがくるくる回る東京散歩。
幼馴染の俺と私の散歩が始まる少し前。