減煙中とはいえ煙草をやめる気は
全く無いのですが、
1日の中で理想的な本数は3本であって、
それは喫煙が私にとって
単なるニコチン摂取行為ではないからなのです。
佇むが一番自然である時間に佇むには
自らの呼吸を確認するには
やはり煙草は必要不可欠なものなのです。
朝起きて、朝木綿をしたらば、
コーヒーとともに吸うのは、
ひとまず今日を始められる喜ばしさを
型どっていて、
それは呼吸なのでした。
差し込む朝日さえもきらりやわり形付けて。
黄昏時は
思い返すにはもってこいの赤と
やってくる青を混ぜ合わせることで
現存性を浮き彫りにするのであって、
形を変える煙は想起を漂わせて
逆再生でもって燃える赤の現在に
帰結するのであって
呼吸と共に発光する灰にまみれた赤は
想起の飛行場における誘導灯なのでした。
そして
とばりが下りきった夜なのです。
黒のとばりを締め切った暗い部屋にあって
赤い蛍の発光はやはり呼吸と相似であって
その不始末が幾多の命を奪う危険を孕みながらも
命の続く限りは現在をほんのりと照らし続けるのでして。