寿司を乗せて回り続けるコンベアーに目が行ってしまって
食べるどころじゃなかったことはこういうことだと思うのです。
違和感というものは、
まず最初にある程度の「和」というものがあってこそ生まれる感覚であって、
何か新しいものを生み出そうと鼻息荒く無軌道な努力をしたところでそれは
ただの「無茶」でしかなく、ともすれば「暴挙」ともなってしまうのでした。
「和」が先立つのであれど。
その「和」というものもまたある種の主観性を孕んでいるのであって、
男性が身を置く「和」と
女性が身を置く「和」はやはり違いがあるのであり、
お互いの和に違和感を感じるということには何の違和感も感じないのでした。
多数の和の集合体としての世の中は
同じ数だけの主観性によって出来上がっているのであって、
それは一つの雲なのでした。
その雲はそして、いつだって風や温度によって形を変えるものであって、
雲の向こうにある空の不変性というものを、
雨粒の一つは「ほんとう」というのでした。
そのことに気づいた雨粒が空に見るのは、
遠い遠いところから差し込む一本の蜘蛛の糸それだけなのでした。
このような飛躍的非論理のことを、
「直観」
と名付けてくれた人がいるだけで、私はいくらかうれしいのであって。
