父のこと 母のこと | Tamacoのブログ

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ただ今、次男とにゃんこの大福さん.小福たんと外猫タミオと暮しております。

日々思うこと、思ってきたことをツラツラ書いていこうと思います。




今日は『親のこと』


たぶんね、世の中には私と同じように親と気が合わない人、沢山いると思います。

そう、気が合わないんですね。



父は昔から口数の少ない人で、人を褒めることができない人で、私、ずっと怒られて育てられた気がする。
私の中ではいつもいつも怖い存在。
ある意味トラウマ…。
何をするにも常に父の存在が私の中にあって、怒られないように…といって、いい子でいる訳でもなく。
だから影に隠れて悪いことをする。
嘘をつく。
話さない。
無趣味で唯一好きだったお酒も通風になって辞めたみたいで。
この人は何が楽しみで生きているんだろう…と、若い頃はずっと思っていた。

それでも反抗期を迎えるまでは、多少の会話はあったかもしれない…(もう記憶にもないや)


反抗期からこの歳になるまで(50も半ばね)ほぼ会話をしたこともなく、累計しても1日にも満たないと思います。



母は昔から外で働くのが好きな人。
私が小さい頃から工場で正社員で働いていたから、私は祖母に育てられました。
だから母は料理が上手ではありません。
掃除もできません。
だから私は高校生の頃から、自分のお弁当は自分で作って持って行ってました。
父に毎日毎日怒られて文句言われて、頭にきても父が怖いから、私たちに愚痴を言いにくる。
それは今でも変わらない…。

でもなんだかんだ母は父が好きみたいです…笑

料理下手で整理整頓できなくて、品もなく、怒る時は必ず『もうお金やらない❗️』『お父さんに言いつけるから❗️』というのがお決まりのセリフ。

ホント、そのセリフ嫌いで嫌いで。

そんな母を私はずっと蔑んでました。
見下してました。



20歳で家を出てからは、実家に泊まったといえば、お産の後に3日くらい泊まっただけ。
実家からは10分くらいしか離れてないのに、立ち寄ることすら年に数回。
私の祖母が生きていた頃は、それでも多少は多かった気がする。
祖母が亡くなってからは、本当に寄らなくなって。

父や母が私のアパートに来ることも、ほとんどなかったなぁ。

離婚した時も事後報告。
相談すらしなかった。


そんなこんなで生きてきて、一昨年の夏過ぎに父から来た一本の電話に驚いた。

父も母ももう80歳を超えて、父は半ば。

『そろそろ終活をするから。お前に中古の家を買ってやるから…』からって。

そこからいろいろあって、最終的には新築の家を建ててもらったのだけど。


建ててる最中に父にガンが見つかりました。
すい臓がんだということです。

ただ母からの報告なので、父が私たちが知っているのを知っているかは分かりません。

病院にも行っていないようです。

毎日毎日畑に来て畑で野菜作ってます。

明らかに父の具合は日増しに悪くなっているのは、傍目から見ても分かります。
腰がメチャクチャ痛いらしいです。
眠れない日もあるようです。

なので畑のあちこちに椅子が置いてあって、10分20分働くと痛みに耐えきれずに椅子に座ってる姿を見ます。

日々弱っていく姿を見るのは流石に可哀想かな…って思うこともありますが、なんか私が父は可哀想と思うことが父を可哀想な人にしてしまうようで、あえて手伝いはしません。
頼まれた時は手伝ってます。

そんな中でも毎日毎日飽きることなく、父は母に文句を言い、言い返せない母は私に愚痴をこぼしていくというお決まりパターン。

まぁ、私はみんな流してるからいいんですが…笑


あれだけ嫌いで嫌いで仕方かなった父ですが、日に日に小さく弱々しくなっていく姿を見ると、やっぱり寂しさと悲しさを感じます。

でも父は父らしく生きたいと思うので、変な言い方をすれば放っておいてます。


彼らの姿は、やがて行く私の姿なのかな…なんて思いながら。




今は嫌い…というよりも苦手。
母も苦手。



でもね、小さな時の、やっと思い出せる思い出は、父に抱かれて寝ていたこと。
寒い冬の夜、父の足の間で私の足を挟んで温めてくれながら眠ったこと。



今まで褒められたことなんかないけど…
なんか怒られてばかりだったけど…


きっと父は私を愛してくれてたんだよね。


なんて、最近思いました。




滅多に見られない大福とタミオの2ショット🐾