障害あるひとをとりあげるということはそこに横たわっていることも、たくさん目にするんですよ。それを引き起こしてるのはだいたい、障害あるひとではないことが多いです。
そのことをあらためて直視してもらいたいところです。(‪@tamalovepoaro‬)



社会的障壁という言葉、皆さんご存知ですか?

障害がある方が日常生活や社会生活を送る上で
障壁となるものを指す言葉なのですが

その内容は
建物の作りや施設の設備などのハード面だけでなく
障害者に対して排他的な意識や偏見など
ソフト面も含めたものです


障害者が生きづらい理由として
フォーカスされるのはいつも
『障害そのもの』で
解決法として挙げられるのは
ハード面のバリアフリーが主ですが

私自身や周りで障害を抱える方を見ていて
社会的障壁として大きく立ちはだかるのは
いつもソフト面の方だなと思っています


障害を抱える私たちが生きづらい理由が
本当に全て私たちの障害特性だけでしょうか?

障害がある、というだけで
見る目が変わることは
日常で珍しいことではありません

その中であからさまな嫌悪というのは
確かに私の体感では多くは無いですが
周りの人と扱われ方が違う、という
言葉にしきれない何とも言えない違和感は
幾度となく感じてきました

そしてその違和感の大元を辿れば
そこにあるのは『知らない』という事実
だと思っています


それを当たり前に生活している人の現状や感覚を
知らない、知る機会がない故
どうしたらいいか分からないというのが
結局は共存の障壁になっているのだろうと思います

どうしたらいいか分からないから
距離を置く、関わらないの繰り返しの
どこかに悪意が含まれていることも
ないとは言いきれないのかなと思います

知らないから強く当たることも
知らないから責め立てることも
勿論存在しています


だから私はいつでも
知らないことが怖いんです

知らないと
傷つけていることすら
知らずに過ぎてしまうことは山ほどあるから


あからさまな悪意でなくても
人が当たり前に生きる権利を妨げることは
世の中に沢山転がっています

世の中が与える社会的障壁は
きっと気づいていない方から見れば
そんなことある?と疑いたくなるようなことから
そう言えば自分もやっていたかもしれない
という潜在意識の部分まで色々です


同じように社会生活を送る人として
色々な問題を当事者として考えられるように
社会が優しくなったらいいなと願っています