タイトルの通り

今回はちょっとネガティブなお話です。


でも後半には

私なりの悪戦苦闘の様も書く予定です。


読む皆様が、気持ちに余裕があって

他人のモヤモヤを

渦の外から眺められるコンディションの時に


ふうん、という気持ちで読んでもらえたら

と思います。




私は

自分の見た目に寛容でいられる時と

酷く不寛容になる時があります。



不寛容な時は

大体本当に不安で不満なのは

“見た目”じゃなくて


何か別の大きな不安、不満が

全部「見た目が受け入れられない」に

帰結してしまっているんだな


と、ここまでは最近気がついてきました。



見た目にこだわっていることや

こだわることがやめられない自分を

受け入れることもまた中々大変です。


変えられない「顔」や「体型」に

悩んでいる自分は

今よりもっと美しい自分になれるんじゃないか

と期待し続けているようにも感じて


そんな自分を

烏滸がましいな、恥ずかしいな

と思うことも。



そういう時って

いくら世間で言われている“美しい”を目指して


メイクを研究したり

洋服を選んだり

ダイエットしたりしても


誰かの評価を得るための作業になっちゃって

自分は全然楽しくなくて


何なら追い立てられるような

追い詰められるような気持ちなんですよね。



今目の前にいる人を

美しいか、美しくないかなんて眼差しで


自分は見ていないのに

見ていないはずなのに


自分で自分に

その眼差しを向け続けていると


気付かぬうちに他人のことさえ

テンプレートの美しさにハマるかどうかで

見るようになってしまったんじゃないか

と怖くなったり


それは私のなりたい私ではない

と苦しくなったり。



ここまで読むと

お分かりいただけると思いますが


そう、この思考は病んでいるんです。

健全ではない。

支離滅裂で、とても偏っている。



鏡の自分と対峙しても、

綺麗に映らなかった写真を

舐めまわすように観察しても


そこに本質はないんです。


問題は見た目じゃなくて

そんな風に自分を見てしまう時に

私の中で起こる思考の流れ。



先月とあるデートの日

彼氏が思い出にと

写真をとってくれました。


カメラを向けられた時点で

いやに胸がドキドキして

「あ、今日はダメな日かも」とは

思っていました。


更に写真はシャッタータイミングが悪くて

ちょっと半目だったり

喋りかけのような表情だったりして

見た目云々と関連もない

“美しく見えない”要素が溢れていました。


でもその時の私は

全部私が美しくないせいだと思いました。


送ってもらった写真を見て

顔のここが気に食わない

ここはメイクで工夫できるけど

ここはメイクじゃどうしようもない…なんて

分析してる自分がいました。



翌日、外出の為にメイクしようと

ドレッサーの前に座って自分の顔を見たら

「なんてブスなんだろう」と涙が出ました。


鏡を前に声を上げて泣く自分も

それはそれで恥ずかしくて

何で私はこんな事で

こんなに打ちひしがれているんだろう

とも思いました。



だからといって


泣いたって、喚いたって

私は私の顔や体で生きていくしかないし


見た目が気になって仕方ないことが

その瞬間の私にとって

存在意義さえ揺るがす大問題であることと

社会生活をこなさなきゃいけないことは

別問題です。



写真は一瞬を切り取ったものだ

普段、他者が見る私は動いている姿で

表情や仕草や声…

止まった私では分からない沢山の要素が

私の印象に影響しているに違いない。


メイクのどの工程が

今の私の顔の印象に影響を与えているか

分析してみたら、新しい知見があるかも。


自分の姿を客観的に見たら

冷静になれるかも。



なんて色々考えて

試しに「泣きながらメイクする私」を

動画で撮影してみることに。


傍から見たら凄い光景だったことでしょう。笑



撮影してみると


まず

鏡に写る私と、カメラに写る私って

ちょっと違って見えるんだな

と気が付きました。


カメラに写った一瞬の姿に

執着し過ぎていたかも、と

少し不安から距離をおけました。



時間が経って

動画を見返してみると


メソメソしながらも

見えない何かと悪戦苦闘して

試行錯誤する自分のことを


ちょっと愛おしいなと思えました。


世間から可愛い、綺麗と

言われるかどうかではなくて

あの瞬間涙しながら戦った私は

私にとって可愛かった。



上手に愛せない私は沢山いるけれど


病的な自分に振り回されて

狭くなってしまった視野でも

何とか次の一手を考えようと

一旦戦ってみる自分は


意外と嫌いじゃないな

と気がつけた瞬間でした。



私は他者評価を自己評価にし過ぎているんです。


誰からも気に入られる私になるのは

不可能なことだと理屈で理解していても

気持ちがなかなか追いつけずに

ここまで来てしまいました。


容姿に対するコンプレックスも

そんな私の思考のくせが表れた

ひとつに過ぎないんです、きっと。


だから今回動画を撮って

「私にとって愛おしい」と思えたのは

大きな前進です。



その時の動画は今でも大事に取ってあります。


何度もその動画を見ているうちに

この時の私をこれ以上傷つけないために

自分で自分の見た目を責めるのはやめよう

と思いました。



今は鏡の前に立っても泣かなくなって

メイクする時間が楽しみに変わり

笑顔で写真を撮ってもらえる私が

帰ってきています。



またどこかのタイミングで

容姿に不寛容な私はきっとやってくるけど


その時は同じように動画を撮って、見返して

自分を抱きしめてあげようと思います。



一歩ずつ、一個ずつです。