昔の私が書いたこんな記事を掘り起こしてきました。
あの頃から少し時が経って
考え方が変わってきたところもあるから
今回は再度私の“綺麗事”への姿勢を
書いてみようかなあと思います。
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私は綺麗事だけを言う人は
ハッキリ言って好きじゃないです
それは少し前の私自身だから
甘いな、って思います
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な〜んとまあ、殺傷力の高い文章なんでしょう。笑
白黒思考のお手本みたいな表現です。笑
当時の私は“綺麗事”を
その人が一番理想とする結論と解釈して
そうばかりはいかない…と考えるところまでは
行き着いてるようです。
今の私も、同じくそう思います。
こうなるといいな
こうしたいな
と思っていても
環境が整わなかったり
自分自身が理想通りの言動が取れなかったり
いろんな理由があって
思うようにいかない場面は
たくさんあるように感じます。
ただ、今の私は
あの頃の私が考えていたよりも
こうなるといいな
こうしたいな
の気持ちをとっても大切に感じています。
綺麗事なんてバカバカしいと思っているより
非現実的でも「そうだといいな〜」と思ってる
柔軟性の方が魅力的になってきたかも。
理想に近づくために行動したら立派だし、
行動出来なくても理想は持ってていい。
上手く言葉に出来ないけど
綺麗事を言いたくなる不完全さもまた
愛して、あたためてあげたい気持ちです。
現実って厳しい〜〜と思うことも
いっぱいあるけど
でもさ〜
こういう大人になりたいわけよ、とか
私良い人でいたいわけ!とか
社会がこうであって欲しい!とか
この「でもさ〜」を許してあげたい。
あ、これが一番しっくりくるかも。
「でもさ〜」の後をもっと許してあげたいです。
綺麗事を人に押付けたら暴力になっちゃうけど
綺麗事を言いたい自分は
可愛く思っておきたい、みたいな。
そんな感じだなあ。